カスター隊の敗因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 00:01 UTC 版)
「リトルビッグホーンの戦い」の記事における「カスター隊の敗因」の解説
カスター配下の「第七騎兵隊」は、構成員が東欧などからのいわゆる「遅れてやってきた移民」たちであり、戦いの間際には平原をひたすら行進する部隊活動に疲れきっていて、士気はかなり低下していた。 部下のベンティーン大尉が軍事裁判で提出した、カスターが最後に書き残したメモには、「(弾薬の)包みを持ってきてくれ」とある。のちに裁判で吊るし上げになったリノは、「第七騎兵隊は一人につき124発しか装備しておらず、輸送馬車には2万4000発以上の弾薬が残してあった」と証言している。 対するインディアン側は、戦場に残された薬莢の数から考えて(カスター隊は45口径の単一のカートリッジを使用していたので、それ以外の弾丸や薬莢は全てインディアン部隊のものと判断出来る)カスター隊の4倍もの銃を装備していた。その種類は極めて多彩で、上記の調査からも47種類以上の銃が使用されていたと考えられている。 またカスター隊が単発式のスプリングフィールドM1873を使用していたのに対し、インディアン側は威力や射程距離、命中精度では劣るものの連射速度で遙かに勝るヘンリー連発銃(ウィンチェスターライフルの原型)や弓矢、戦斧を使用しての接近戦を挑み、カスター隊の唯一の長所を帳消しとした。また、先込め式の旧式銃も多く、地面に落ちた弾丸を詰め直して撃つことも出来た。 その結果、戦闘は始まると同時に一方的な展開となり、カスター隊は2時間と経たないうちに追い詰められて全滅することとなった。インディアン達は慣れ親しんだバッファロー狩りのテクニックを応用し、騎兵隊を分散・孤立化させ、追いつめたのである。 この一方的な戦況は虐殺として伝えられた。夫を神格化しようとするエリザベス・“リビー”・カスター夫人の熱心な活動もあって、アメリカ社会では反インディアン世論が高まり、インディアンに対する武力掃討が行われた。有名なものがウーンデッド・ニーの虐殺である。 またカスターの副官であったマーカス・リノは、敗戦後の軍事裁判で、この敗戦の責任を一人で負わされることとなった。新聞各紙もまるでリノの失態でカスターが死んだかのように書きたてた。
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