ウンデット・ニーの虐殺
ウーンデッド・ニーの虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:03 UTC 版)
ウーンデッド・ニー・クリークでの虐殺は、合衆国とラコタ族の間の19世紀最後の大きな虐殺事件だった。 1890年12月29日、合衆国第7騎馬隊の500名からなる陸軍部隊は、ラコタ族の一派、ミネコンジュー族のシハ・タンカ・バンドの一団をネブラスカ州オマハへと強制連行する途上で、彼らを無差別銃撃で虐殺した。シハ・タンカ・バンドは混乱の中逃げ惑い、女と子供を含む150名以上のミネコンジュー族が死亡した。徹底的な無差別銃撃であり、死んだ白人兵士25名は味方からの誤射によるものだった。シハ・タンカ・バンドの多くが「信じることで白人の弾丸が効かなくなる」というゴーストダンス教の教義を信奉していたことが、この白人による虐殺の要因となった。 現在、この民族大虐殺を風化させないようにと、虐殺の日に合わせて、スー族の未成年者も含む有志の一団が極寒の中、シハ・タンカ・バンドのたどった順路を騎馬で再体験する雪中行進が毎年行われている。
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