初期の作戦とは? わかりやすく解説

初期の作戦(1861年6月-1862年1月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:18 UTC 版)

西部戦線 (南北戦争)」の記事における「初期の作戦(1861年6月-1862年1月)」の解説

西部戦線初期2つの州、ミズーリ州ケンタッキー州焦点置かれた。どちらを失ったとしても北軍にとって重大な足かせになるはずだった。1861年6月ナサニエル・ライアン大尉ブーンビルの戦い勝利したことが大きくミズーリ州北軍確保したケンタッキー州場合南軍寄り知事北軍寄り議会という事情もあり、中立宣言していた。この中立は、9月3日南軍レオニダス・ポーク少将ケンタッキー州コロンバス占領したことでまず破られた。コロンバスミシシッピ川下流抑えるための要衝考えられた。その2日後に北軍ユリシーズ・グラント准将その後の軍歴特徴づけるような個人的独創性発揮してパデューカ占領した。この時点からは両軍ともケンタッキー州中立尊重しなくなった。この事件の流れは、ケンタッキー州が公式に南軍に付くことが無かったことと、もし北軍ケンタッキー州内での作戦行動ができなければその後テネシー州での成功はもっと難しいものになったであろうことを考えれば北軍勝利考えられる南軍の側では、アルバート・ジョンストン将軍アーカンソー州からの全軍指揮しカンバーランド地峡進軍したジョンストン軍は数的に劣勢軍隊で広い前線を守るという難題直面したが、横の連絡取り合う優れた仕組みがあったので、その軍隊必要な所へ素早く動かすことができた。またポークウィリアム・J・ハーディという二人有能な部下将軍がいた。また、ラッセルビル会議設定され南部新し州都ボウリング・グリーンを通じてケンタッキー州中部西部の郡にいる連邦脱退支持者からの政治的な支援もあった。そこの臨時政府南部政府にも認められ1861年12月にはアメリカ連合国への加盟認められた。モービルオハイオ鉄道という手段使ってポークコロンバス南軍基地素早く要塞化装備を調えた。 西部戦線北軍統一され指揮系統が無いために苦しんだ1861年11月組織されたものは3つの方面軍別れていた。デイビッド・ハンター少将カンザス方面軍ヘンリー・ハレック少将ミズーリ方面軍およびドン・カルロス・ビューエル准将ウィリアム・シャーマン准将後任)のオハイオ軍であった1862年1月まで、西部戦線における戦略的な展開は何一つ合意されず、指揮系統欠如は明らかであったビューエル東テネシー侵入し北軍寄りのその地を確保し緩りナッシュビル方向進んだが、ジョージ・ヘンリー・トーマス准将ミル・スプリングスの戦い小さな勝利を挙げた他はその目標に対してなんら実質的なことは出来なかった。ミル・スプリングスでの勝利は、南軍西部防衛線を破壊し、カンバランド峡谷への道が開かれたので戦略的な勝利の意味合いもあるが、それでもビューエルナッシュビル近付けなかった。ハレック方面軍では、グラントテネシー川遡ってビューエル進行から注意を逸らす動きしたが、ビューエルは進まなかった。2月1日ハレックテネシー川ヘンリー砦向けてグラント進軍することを認めた

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初期の作戦(1861年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:27 UTC 版)

東部戦線 (南北戦争)」の記事における「初期の作戦(1861年)」の解説

1861年4月サムター要塞陥落後、両軍共に軍隊創出大わらわであったエイブラハム・リンカーン大統領反乱軍抑えるために75,000名の志願兵召集命令し、これが即座にバージニア州を含む4つの州の脱退繋がったアメリカ陸軍には当時16,000名の兵士しかおらず、その半分以上西部散らばっていた。陸軍米英戦争米墨戦争古参兵である年長ウィンフィールド・スコット中将指揮されていた。アメリカ連合国の方は、一握り連邦軍士官と兵士退役して南軍加わった連合国軍体系当初各州によって整えられた。(強い中央政府対す各州嫌悪感助長され連合国防衛軍分散した性格戦争の間南軍弱み一つでもあった。) 最初敵対的行動幾つかバージニア州西部現在のウエストバージニア州)で起こったジョージ・マクレラン少将オハイオ軍管区Department of the Ohio)の部隊指揮しグラフトンら行軍を命じてジョージ・ポーターフィールド大佐指揮する南軍攻撃した1861年6月3日フィルーピーの戦いあるいはフィルーピーの競走呼ばれる小競り合いは、この若い将軍大衆認識する上の大した意味は無かった7月入ってリッチマウンテンの戦いで勝利しマクレラン昇進機会訪れポトマック軍指揮官となった。この作戦小さな戦闘続いている間、ロバート・E・リー将軍は元アメリカ陸軍有能な大佐という評判にも拘わらず戦闘関わることがなく、ぱっとしない成果によって「リーばあさん」という見下したような渾名まで頂戴したリー間もなくカロライナ要塞を築くために転出した。 この戦争での最初重要な戦闘6月10日バージニア州東部起こった北軍ベンジャミン・バトラー少将モンロー砦駐屯しており、ハンプトンニューポートニューズからの合流部隊南軍前線基地攻撃送ったモンロー砦近くビッグベセルの戦いジョン・マグルーダー大佐南軍としては初めての勝利を掴んだ

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初期の作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 03:02 UTC 版)

太原戦役」の記事における「初期の作戦」の解説

1948年9月中国共産党中央西柏坡で政治局拡大会議九月会議)を召集開催し、ほぼ5年以内に「国民党反動統治徹底的に打倒する」と決定しこのため核戦略区に第2次国共内戦第3年に更に大規模な殲滅戦を行う準備要求した華北軍区第1副司令員兼第1兵団司令員及び政治委員徐向前病気抱えながら、管轄下の第8縦隊、第13縦隊、第15縦隊西北野戦軍第7縦隊並びに華北軍区砲兵第1旅団及び地方部隊の各独立旅団合計8万人余を指揮した1948年9月28日華北野戦軍第1兵団周士弟、陳漫遠は連名で「太原進攻戦術追加指示」を指揮下部隊に発し併せて軍事委員会に報告上げた前線指揮員の周士弟予定では、10月18日太原への攻撃開始し外郭城壁及び太原城の三段階に分けて連続して進攻するとした。 閻錫山済南戦役衝撃受けていて、守勢に立つ代わりに攻勢に出ることとし10月初め7個師団兵力工事から離し積極的に出撃させ、武器食糧拡充した。徐向前3日電信により中国共産党軍委員会当該部隊をすべて殲滅せよという決定受けた10月5日華北野戦軍第8縦隊王新亭)、第13縦隊(韋傑)は城南閻錫山軍に進攻開始した小店で第8縦隊は暫編第44師団大部分部隊と暫編第45師団一部殲滅し、第44師団師団長之得を捕虜とした。南黒窯、南畔で第13縦隊は暫編第45師団残り部隊と親訓師団一部殲滅し、第45師団師団長鄭継国を捕虜とした。 10日解放軍太原飛行場と北営駅を占領した同日病気中の徐向前石家荘から前線司令部移動した徐向前前線司令部到着する直ちに「太原城地区の進攻にあたっては、まず城東群山防衛線を攻略する必要があり、断固として牛駱寨、小窯頭、淖馬、山頭四大要点占領し支配下におく必要があり、この線はまた、閻錫山いうところの第二堅固な防衛線」である。」との指示出した徐向前は、「南北両方向から、直接東山四大要塞割って入れば、この南北8キロメートル長い陣地太原東山主峰中間で必ず分断できる。」と考えていた。 15日になり、人民解放軍は完全に太原東南部要害高地である石嘴子陣地和城東北の重要拠点風閣などを制圧した太原戦役の初期の作戦で、解放軍太原城の第1次防衛線を突破した東城防御体系南北に穴が開けられ守備軍の外部からの航空援助断絶することとなった

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