ポトマック軍とゲティスバーグ
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「ジョージ・ミード」の記事における「ポトマック軍とゲティスバーグ」の解説
フッカーはゲティスバーグ方面作戦でリーを追跡しているときにポトマック軍指揮官を辞任した。1863年6月28日早朝、エイブラハム・リンカーン大統領の使者が到着し、ミードをフッカーの後任に指名することを伝えた。ミードは驚きに撃たれ、後に妻に宛てて、士官が彼のテントに入って来て彼を起こしたとき、軍隊内の政治的な力が働いて逮捕されるのだと思った、と書いた。ミードは積極的に指揮官職を求めていなかったし、大統領が最初に選んだ者でもなかった。ポトマック軍でミードより上位にある4人の将軍のうちの一人、ジョン・F・レイノルズは、先に大統領からの任官の提案を受けて断っていた。レイノルズはゲティスバーグの戦い初日に戦死した。 ミードはメリーランド州フレデリックのプロスペクトホールで指揮官職を受けた。リーの北バージニア軍はペンシルベニア州に侵攻しており、元軍団指揮官のミードはその軍隊の残り部隊の配置すら殆ど情報が無かった。わずか3日後、1863年7月1日から3日、ゲティスバーグの戦いでミードはリー軍と対した。この戦いでの北軍の勝利は南北戦争の行方を決める転回点になったと考えられている。この戦いは7月1日に南軍の歩兵と北軍の騎兵がゲティスバーグで偶然遭遇して戦いに及んだ結果として、ほとんど意図しないままに始まった。1日目の終りまでに、北軍の2個軍団がほとんど壊滅したが、防御に適した陣地を確保していた。ミードは残りの部隊をゲティスバーグに急行させて、巧妙にその部隊を防衛戦に就かせ、その左翼、右翼および中央への激しい攻撃に迅速に対応し、ピケットの突撃と呼ばれるリー軍の中央への破滅的な攻撃へと集約させた。 この3日間、ミードはジョン・F・レイノルズやウィンフィールド・スコット・ハンコック各少将のような有能な部下を巧みに用い、彼等に大きな責任を持たせた。ミードの評判にとって不幸なことに、彼はフッカーから引き継いだ政治的な操縦者をうまく扱えなかった。第3軍団指揮官のダニエル・シックルズやミードの参謀長ダニエル・バターフィールドは、ミードの指揮官としての決断と勇気に疑問を呈し、戦後に困難さを残した。シックルズはミードの前任者ジョセフ・フッカーに忠実だったので、またゲティスバーグでは激しく言い争ったので、ミードに対して個人的な復讐劇を展開した(シックルズの第3軍団指揮官としての甚だしい命令不服従は、北軍にとって戦闘の、またその後の戦争の大半で損失だった)。アメリカ合衆国議会両院戦争遂行委員会の急進派共和党はミードがカパーヘッド(北部で南北戦争の休戦推進派)ではないかと疑い、指揮官から辞めさせようとしたが徒労に終わった。 ゲティスバーグで大きな損失を蒙ったリー軍はバージニア州に撤退した。ミードはリー軍の撤退中に攻撃的に追撃しなかったことで、リンカーンやその他の者に批判された。ある時点で、北バージニア軍は雨で膨れ上がったほとんど越せそうにないポトマック川を背にして非常に脆弱な時があったが、ミードが効果的な攻撃を組織できた時にはすでに、強力な防御陣を構築できていた。リンカーンはこのことで戦争を終わらせる機会を失ったと考えた。それでもミードは正規軍の准将昇進を受け、議会の感謝状では、「...ゲティスバーグで反乱軍の古参兵部隊をラッパハノック川を越え、撃退し、打ち破り、後退させ、破壊しまた士気を喪失させた巧みで英雄的な武勇に対し、(ミード)とポトマック軍の士官と兵士を」賞賛した。 1863年秋の残りの作戦シーズンであるブリストー方面作戦やマインラン方面作戦では、敵の塹壕に篭った防御陣に対する攻撃を躊躇ったために、ミードはリーに翻弄され小規模の決着が付かない戦闘のあとで撤退した。 ミードは有能で外見上は謙譲な男だった。ただし、戦争中に出した妻への手紙では自分の自我や大望を忌み嫌っていることを示唆している。ロンドンの新聞記者はミードに付いて、「彼は非常に見栄えのよい男である。背が高く、ほっそりしており、いるだけで指揮官の風貌があり、その所作は楽しく気楽であるが、強い尊厳がある。彼の頭は一部はげており、小さくまとまっているが、額は高い。ウェリントン公爵のような鼻をしており、その目は深刻で悲しみを湛えたような表情を生み、やや沈んでおり、あるいは鼻の曲線の隆起からそのようにも見える。彼は間違いなく洗練された者であり目だった外観である。」と表現した。ミードの短気さは悪評を生み、同僚の大半からは尊敬されていたものの、軍隊から愛されていたとは言えない。「のろわれ年取ったぎょろ目のカミツキガメ」と呼んだ者もいた。
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