ポトマック河畔の桜並木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:26 UTC 版)
「エリザ・シドモア」の記事における「ポトマック河畔の桜並木」の解説
エリザは、1885年にワシントンへ帰国する際に、ワシントンD.C.に日本の桜を植える計画を着想した。しかし当時エリザはその着想にさほどの関心を払わず、むしろ初著で題材としたアラスカの印象の方により関心を割いていた。 エリザの桜並木計画は、1909年、大統領となったウィリアム・タフトの妻ヘレン・タフト(英語版)が興味を示したことで、現実化に向けて動きだした。ファーストレディの精力的な支援により計画は急速に進んだが、当初の努力は病害虫への懸念から徒労に終わらざるを得なかった。しかし、更なる努力が実を結び、今日では西ポトマック公園(英語版)等ワシントン各地の桜を観に多くの人々が訪れ、特に全米桜祭り期間中は盛大である。 横浜外国人墓地にあるエリザの墓碑の傍らには、1991年にポトマック河畔から「里帰り」した桜が植えられ、「シドモア桜」と名付けられている。
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