初加勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 16:12 UTC 版)
| 初加勢 | |
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       『日本近世造船史(明治時代)』第169図
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| 基本情報 | |
| 船籍 | |
| 運用者 | |
| 建造所 | 三菱長崎造船所[1] | 
| 改名 | 初加勢→ドロシー→初風 | 
| 経歴 | |
| 起工 | 1901年5月 | 
| 進水 | 1902年10月4日 | 
| 竣工 | 1902年10月25日 | 
| 最後 | 1950年3月18日座礁、船体放棄[1] | 
| 要目 | |
| 総トン数 | 80.0 トン[2][1][3] | 
| 排水量 | 131英トン[4] | 
| 全長 | 31.32 m[1] または109 ft (33 m)[4] | 
| 幅 | 18 ft (5.5 m)[4] | 
| 喫水 | 前部:5 ft (1.5 m)、後部:8 ft (2.4 m)[4] | 
| 機関方式 | 4連成レシプロ機関[3] →ディーゼル機関 | 
| ボイラー | 宮原式水管ボイラー[3] | 
| 出力 | 230 馬力[1] | 
| 速力 | 11.38 ノット[1] | 
初加勢(はつかぜ)は、大日本帝国の皇室ヨット[1]。 日本のレジャーボートとしては初期のものの1隻[1]。 加勢は風の古い用法で、 初風は「その季節に初めに吹く風」の意味[5]。
1902年(明治35年)、三菱造船所(後の三菱重工業長崎造船所)への行幸記念として岩崎久弥から当時の皇太子(後の大正天皇)に贈られた2檣蒸気船[1]。 内装は日本の美術品を用いていた[1]。
船歴
長崎の三菱造船所で建造。1901年(明治34年)5月10日起工[6]。船番141[6]。翌年10月4日進水。同月25日に竣工。[要出典]翌月に宮内省から海軍に移管、雑役船「初加勢」とされた。または、1903年10月4日に進水し、同年11月26日に竣工[6]。
1905年(明治38年)の観艦式には皇室ヨットとして使用された。
1921年(大正10年)からは高松宮が海軍兵学校で使用した。
1945年(昭和20年)の敗戦により米軍が接収し、「ドロシー」と改名された。 1949年(昭和24年)に日本に返還され[1]、| 志摩航運に売却。「初風」と改名され観光船となった。この時、機関を蒸気機関からディーゼルに換装している。 1950年(昭和25年)3月18日に鳥羽沿岸で座礁し、船体放棄された[1]。
脚注
出典
参考文献
- アジア歴史資料センター 
    - 防衛研究所
- 「管轄任務(1)」『大正2年 公文備考 艦船4 巻23』、JACAR:C08020262300。
 
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9。
- 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。
- 庄司邦昭「日本の海事工学に関する博物館について(その6) : 九州・沖縄地方」『東京商船大学研究報告. 人文科学』第52巻、東京海洋大学、2001年、47-72頁、 ISSN 0493-4466。
- 日本財団『企画展「世界のロイヤルヨット今昔物語」報告書』。
- 『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年
関連項目
- 初加勢のページへのリンク

 
                             
                    



