本国海域(1939年)
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「ケリー (駆逐艦)」の記事における「本国海域(1939年)」の解説
第二次世界大戦が勃発して間もない1939年9月4日、ポートランド沖で駆逐艦アケロンと対潜訓練中にドイツ海軍のUボートから攻撃を受けたが被害はなかった。9月中旬にケリーはウィンザー公爵と公爵夫人を居住するフランスからイギリスへ帰還させた。9月17日にはU-29に撃沈されアメリカの商船に救助された空母カレイジャスの生存者を収容してデヴォンポートに送り届けたほか、9月20日には空母ハーミーズを護衛して対潜哨戒任務を行っている。 1939年11月5日、ケリーは航行中に悪天候によって損傷したため1か月間の修理を行う。 修理完了直後の1939年12月14日の午後、タンカーアセルテンプラー(MV Atheltemplar)がタイン川沖合でドイツの駆逐艦によって敷設された機雷に触れた。ケリーとトライバル級駆逐艦モホークが救難タグボートグレート・エンペラー、ジョファーとラングトンを護衛して派遣された。しかし救援活動中にケリーも触雷し舷側に甚大な損傷を負う。モホークがアセルテンプラーに乗員を派遣している間、ジョファーとラングトンはアセルテンプラーを曳航し、傷ついたケリーもグレート・エンペラーに曳航されてタインに戻った。真夜中にタインへ到着する直前、タグボートのロバート・レッドヘッドとワシントンの援助を受けながら川を遡上した。ホーソン・レスリーの造船所へ修理のために曳航され、3か月超をそこで過ごした。 これはケリーの二度目の不幸であり、悪天候による損傷の修理を終え復帰したばかりの出来事であった。1940年2月28日に修理が完了し復帰するが、それから間もない3月8日に駆逐艦グルカと衝突しまたもや損傷。艦体に30フィートの亀裂を生じたケリーは3月16日に修理のためブラックウォールへ到着しその後6週間をドックで過ごした。4月25日に修理が完了し、翌日には第5駆逐群へ復帰するためにスカパ・フローへ向かった。
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