台湾沖航空戦、レイテ沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:17 UTC 版)
「フランクリン (空母)」の記事における「台湾沖航空戦、レイテ沖海戦」の解説
10月13日早朝、台湾への航空攻撃を実施していた際、4機の爆撃機による攻撃を受けた。「フランクリン」は二発の魚雷をかろうじて回避したが、敵機のうち一機は体当たりを試みた。敵機は「フランクリン」の後部デッキに衝突し、艦橋と飛行甲板を横切り船体右舷の海上に落下した。プロペラでデッキの数箇所が削られ、一部の対空火器は一時的に使用不能となったが、損害は軽微だった。 14日午前、「フランクリン」の艦載機はアパリ(英語版)、ルソンへの攻撃を行う。レイテ島攻略に先立って敵の抵抗を一掃するためであった。15日にマニラ地域の敵飛行場への航空攻撃を実施していた際、「フランクリン」は日本海軍機三機による攻撃を受け、そのうち一機はサイドエレベーター付近に爆弾を命中させた。3名が死亡し22名が負傷、3機の飛行機が損傷を受けた。格納庫内でガソリン火災が起きたが、すぐに消火された。「フランクリン」は作戦行動を継続し、10月19日にはマニラ湾で敵艦を多数撃沈、乾ドックと11機の航空機も破壊した。 レイテ島上陸作戦初期の10月20日に、フランクリンの艦載機は周囲の臨時滑走路を攻撃し、敵部隊の探索を行った。10月24日の午前におけるシブヤン海の戦いでは、栗田健男中将率いる第一遊撃部隊に対し攻撃部隊を発進、ルソン南方で戦艦武蔵および駆逐艦若葉の撃沈に貢献、戦艦扶桑および山城等にも攻撃を加えた。 詳細は「レイテ沖海戦#海戦の推移」を参照 10月30日にはレイテ島に上陸した米軍に対する支援作戦任務に従事したが、サマール島東側海域にて、ルソン島の海軍航空基地から出撃した神風特別攻撃隊の複数の特攻機の攻撃を受け、一機の爆装零戦が飛行甲板に突入した。衝撃と爆発が広範囲の構造上の損傷を引き起こし、格納庫に大規模の火災を発生させた。しかしちょうど格納庫に爆弾や魚雷が置いておらず誘爆が発生しなかったことも幸いし、適切な消火活動により二時間半で鎮火に成功した。なお、別の爆装零戦一機は、軽空母「ベロー・ウッド」に体当たりして同艦を損傷させた。 「フランクリン」は中破し、アメリカ本土での修理が必要となった。まず応急修理のため「ベロー・ウッド」とともにウルシー泊地へ帰還し、11月28日にピュージェット・サウンド海軍工廠へ向かった。その間の11月7日にレスリー・H・ゲーレス(英語版)艦長がシューメイカー艦長と交替した。 このように「フランクリン」は二十日足らずの間に三度損傷し、特に10月30日の被害はこれまで米海軍の艦が被った損害(沈没した艦は除く)のうち最も深刻なものであった。
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