台湾民主国に対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 00:19 UTC 版)
「台湾民主国」の記事における「台湾民主国に対する評価」の解説
この短命政権に対し、歴史学者の間でも評価が分かれている。 まずは欧米で散見される「共和国」の人工性を強調する視点であり、これらは清国の官僚に主導され、国際的な支持を得ることで台湾に日本の権益浸透を阻止することに主眼を置き、清国に忠誠を尽くし、一般の台湾人の支持は得られていなかったとするものである。李筱峰の主張によれば台湾民主国は台湾独立運動の嚆矢とは言えず、清国の官吏が日清戦争敗北後に台湾を講和条件に提起したことに対する住民の反発を恐れたため、台湾における反日運動を計画、住民に対し日本軍の占領と、清国は台湾を放棄した訳でない事を印象付けるための行動と分析される。 次に中国の民族主義者に多く見られる傾向であるが、台湾民主国を中国人による抗日運動の一環と位置づけ、台湾の主権問題を中国に帰属させる視点である。黄秀政や頼建国らは台湾民主国を台湾独立を画策したものでなく、清国に帰属させるための過渡期であったと評価している。 この対極に位置する台湾独立派の歴史家の視点を紹介すると、その代表人物とされる史明は台湾民主国は独立自主を標榜したが、その代表の思想は台湾の大衆とは一致するものではなかった。全ての政治目標は清国の統治下の中国の枠組みを超えることはなかったと評価し、王育徳も台湾民主国の独立宣言に「恭奉正朔,遙作屏藩(清の暦を用い、藩屏すなわち衛星国となる)」という一文が含まれていることから、その独立の精神に懐疑的な意見を発表しており、統一派と類似した見解を述べている。
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