台湾派遣とは? わかりやすく解説

台湾派遣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:48 UTC 版)

彭孟緝」の記事における「台湾派遣」の解説

第二次世界大戦後台湾中華民国国民政府接収され日本の統治終わりを告げた1946年彭孟緝台湾派遣され高雄要塞司令官に就任した。その翌年1947年二・二八事件発生すると、彭は高雄要塞司令として反乱の鎮圧あたった後述)。このときの活躍が最高当局賞賛され、彼は台湾全省警備総司令中国語版)へ昇進したまた、後に台湾省保安副司令、台北衛戍司令参謀総長などの要職歴任することになる。 1949年大規模な学生運動勃発すると、台湾省政府主席陳誠はこれを鎮圧する決定下し当時台湾省警備総部副総司令だった彭に「首謀者」拘束するよう命じている。同年12月16日、彭は友邦中国語版)、楊肇嘉(中国語版)、翼中(中国語版)、游弥堅(中国語版)、朱文伯、劉兼善、杜聡明、陳啓清(中国語版)、連春(中国語版)、清吉日高中国語版)、陳尚文(中国語版)、陳天順、陳清汾、顔欽賢(中国語版)、鄒清之とともに台湾省政府中国語版委員任じられ副司令を兼任した中華民国政府1949年台湾へ移ると、翌年革命実践研究院中国語版軍官訓練団が設立された。彭孟緝はその主任任じられこの後高級班や石牌(中国語版)班などの訓練機構も設立された。1952年には陽明山革命実践研究院主任就任している。 1954年陸軍参謀総長昇進同年8月参謀総長永清中国語版)が病没すると、蔣介石によって副参謀総長彭孟緝参謀総長任じられた:781957年には陸軍総司令中国語版)と台湾防衛司令部総司令兼任するようになり、1959年陸軍一級上将昇進参謀総長再任された。1963年5月蔣介石彭孟緝任期延長命じ:1041965年6月には総統府参軍長(中国語版)に任命した:110。 1967年彭孟緝は駐泰中華民国大使中国語版)としてタイへ派遣され1969年には駐日中華民国大使として日本派遣された。日本には1972年まで駐在していたが、この年日中共同声明日本中華民国断交したため、彭が最後駐日大使となった帰国後の1972年彭孟緝総統府戦略顧問中国語版)に就任した晩年台北過ごし1997年死去した

※この「台湾派遣」の解説は、「彭孟緝」の解説の一部です。
「台湾派遣」を含む「彭孟緝」の記事については、「彭孟緝」の概要を参照ください。

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