構成と戦死者数
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1945年1月25日までのフィリピンでの航空特攻は、特攻機数は海軍333機、陸軍202機。戦死者は海軍420名、陸軍252名であった。沖縄への航空特攻は海軍1026機、1997名、陸軍886機、1021名を数える。 特攻隊は主に現役士官/将校(含む海軍特務士官)と予備役士官(将校)と准士官、下士官で構成されていた。 海軍では現役士官は主に海軍兵学校卒業生と下士官からの昇進者である特務士官からなり、陸軍では主に陸軍士官学校・陸軍航空士官学校(士官候補生)の卒業生と准士官・下士官のうち陸士に短期間学び少尉に任官した者(少尉候補者)で構成されていた。予備役士官は海軍は主に飛行予備学生、陸軍は主に甲種幹部候補生と特別操縦見習士官出身者から構成されていた。下士官は主に海軍は海軍予科飛行練習生、陸軍は主に陸軍少年飛行兵出身であり、特攻出撃人数は圧倒的に多く、特攻隊編成上の主軸となった。 特攻隊員で最年少は海軍甲種飛行予科練習生第12期後期生の西山典郎2飛曹であり、1945年3月18日に所属の762空攻撃262飛行隊で編成された「神風特別攻撃隊・菊水銀河隊」の一員として、指揮官松永輝郎大尉の乗機銀河の電信員で特攻出撃した時の年齢は16歳であった。最高齢且つ最高位は、玉音放送後に沖縄に突入して消息不明となった宇垣纏中将で、享年55歳であった。 第4航空軍司令官として特攻を含むフィリピン航空戦を指揮した冨永恭次陸軍中将の長男である冨永靖を始め、阿部信行朝鮮総督(陸軍大将、第36代総理大臣)、松阪広政司法大臣といった陸軍および政府高官の子息も特攻隊員ないし特攻で戦死している。 海軍の全航空特攻作戦において士官クラス(少尉候補生以上)の戦死は769名。その内飛行予備学生が648名と全体の85%を占めた。これは当時の搭乗員の士官における予備士官の割合をそのまま反映したものといえる。 あ号・捷号・天号作戦期間中の海軍搭乗員の戦死者数を下表 に挙げる。比島戦期間中の数字には同時期に行われた501特攻隊・第一御盾隊の戦死者数が含まれる。 階級あ号作戦期間中の戦死者数構成比率捷号作戦期間中の戦死者数構成比率天号作戦期間中の戦死者数構成比率搭乗員戦死者合計構成比率現役士官 99名 6.5% 185名 9.9% 190名 6.6% 474名 7.6% 予備士官 23名 1.5% 163名 8.7% 963名 33.6% 1,149名 18.3% 特務士官 38名 2.5% 30名 1.6% 55名 1.9% 123名 2.0% 准士官 115名 7.5% 124名 6.6% 67名 2.3% 306名 4.9% 下士官兵 1,257名 82.0% 1,371名 73.2% 1,591名 55.5% 4,219名 67.2% 合計 1,532名 100.0% 1,873名 100.0% 2,866名 100.0% 6,271名 100.0% ※海軍の戦死者の内、特攻戦死者として認定されたのは捷号作戦期間中戦死者数1,873名中419名(22.4%)、天号作戦期間中戦死者数2,866名中1,590名(55.5%)。 顕著に増加したのは天号作戦期間中の予備士官の戦死である。これは、海兵・陸士出身の現役航空士官がそれまでの激戦で多大な戦死者を出し枯渇していたのに対し、この頃から予備士官の実戦配備が軌道にのり、天号作戦時点では士官の数的主力を占めていた為である。 下表 は昭和20年4月1日と7月1日現在の海軍航空隊の搭乗員構成比率である。すでに予備士官は現役士官の5倍近い数に達しており、この後さらに終戦までに海兵出身士官の補充0名に対して予備士官は実に6279名が新たに戦列に加わった。終戦時点で海兵出身士官1034名に対して予備士官は8695名にも及んでおり、全体の9割を占めるに至っていた。 一部で海兵や陸士の現役士官/将校は、予備役士官/将校と比較し温存されていたとの指摘があり、なかには、特攻隊員の70%が学徒出陣のエリートであったなどと、下士官や兵卒の特攻隊員を無視した誤った認識を持つものもいるが、特攻主体の作戦となった、捷号作戦や天号作戦の搭乗員戦死者の現役士官と予備士官の構成率は、上記の通りの大戦末期の海軍航空隊士官における、現役士官と予備士官の構成率と変わらず、数字を比較する限りでは現役士官が温存されていたという事実は読み取れない。特攻に限らず海兵卒業生の戦死率は非常に高く、海兵68期卒業生288名の内191名が戦死し戦没率66.32%、海兵69期卒業生343名中222名戦死し戦没率64.72%、70期は433名中287名戦死し戦没率66.28%と高水準となっている。特に、航空士官の死亡率が高く、例えば1939年に卒業した第67期は全体では248名の同期生の死亡率は64.5%であったが、そのうち86名の航空士官に限れば66名死亡で死亡率76.6%、特に戦闘機に搭乗した士官は16名のうちで生存者はたった1名、艦爆搭乗の士官の13名に至っては全員死亡しており、温存という言葉とはかけ離れている。これらは陸軍でも同様である。 階級S20.4.1現在数構成比率S20.7.1現在数構成比率現役士官 1,269名 5.3% 1,036名 4.7% 予備士官 5,944名 25.0% 5,530名 24.8% 特務士官 675名 2.8% 901名 4.0% 准士官 827名 3.5% 714名 3.2% 下士官兵 15,114名 63.0% 14,096名 63.3% 合計 23,829名 100.0% 22,277名 100% なお、回天搭乗員については、海軍兵学校と海軍機関学校卒の現役士官の戦没者数が予備士官の戦没者数を上回っており、戦没率も約2倍に達している。 階級搭乗員数戦没者数戦没率戦没者内構成比率海軍兵学校卒 89名 19名 21.3% 17.9% 海軍機関学校卒 32名 12名 37.5% 11.3% 予備士官 196名 26名 13.2% 24.5% 一般兵科 9名 9名 100% 8.4% 予科練習生卒 1,035名 40名 3.8% 37.7% 合計 1,361名 106名 7.8% 100% 特攻隊員戦死者数。 航空特攻 海軍航空特攻隊員:2,531名 陸軍航空特攻隊員:1,417名 合計:3,948名 海中特攻 回天特攻隊員:106名 特殊潜航艇(甲標的・海竜)隊員:440名 合計:546名 海上特攻 震洋特攻隊員:1,081名 海上挺進戦隊員(マルレ):263名 合計:1,344名
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