構成と来歴とは? わかりやすく解説

構成と来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/11 21:50 UTC 版)

聖プラクセディス」の記事における「構成と来歴」の解説

聖プラクセディス』には、聖人海綿から絞った殉教者の血を華美な器に注いでいる情景描かれている。フェリーチェ・フィチェレッリ1640年から1645年描いた、現在フェラーラのフェルマーニ・コレクションが所蔵する作品酷似しており、『聖プラクセディス』はこのフィチェレッリの作品からの模写だとされているが、後述のように別の見解存在する。『聖プラクセディス』とフィチェレッリの作品とのもっとも大きな違いは、胸元十字架有無である。もし『聖プラクセディス』がフェルメール真作で、制作年度1655年ごろであるならば、『マリアとマルタの家のキリスト』や『ディアナとニンフたちとともにフェルメール最初期作品一つであり、知られている作品中唯一、他の画家による作品からの模写ということになる。ただ、なぜフェルメール数ある作品の中からイタリアでもあまり名の知られていないこの画家作品選んだかは不明である。 20世紀半ば以前の『聖プラクセディス』の来歴わかっていない。コレクターのヤーコブ・レダーが1943年ニューヨーク小さなオークションハウス購入したのが最初の記録である。1969年ニューヨークメトロポリタン美術館でのフィレンツェ・バロックを主題にした特別展フェリーチェ・フィチェレッリ作品として展示されていたが、この際イギリス人美術史家マイケル・キットソン (en:Michael Kitson) がフェルメールの作品可能性があると指摘した所有者のレダーは同年死去し、『聖プラクセディス』がフェルメール真作であると信じていた画商スペンサー A.サミュエルズ購入したその後、バーバラ・ピエセッカ・ジョンソン・コレクション財団が、1987年スペンサーからこの作品購入した著名なフェルメール研究者である美術史家アーサー・ウィーロックが、『聖プラクセディス』はフェルメール真作であると主張し始めたのは1986年からである。ウィーロックらがキュレーションした2012年ローマでフェルメール展ではこの作品展示されたが、2010年ハーグ他を巡回した若きフェルメール』展では展示作品含まれなかった。 バーバラ・ピエセッカ・ジョンソン・コレクション財団は『聖プラクセディス』をモナコ訪問礼拝堂美術館展示していた。財団オーナーのバーバラ・ピエセッカ・ジョンソンは2013年死去しコレクション競売かけられるため礼拝堂から2014年撤去されたが、そのうち聖プラクセディス』は2014年7月8日に、ロンドン大手オークションクリスティーズ競売かけられた。落札価格予想600ポンドから800ポンドだったが、結局6242500ポンド10億8600万円)で落札され売上一部バーバラ出身地ポーランド自閉症研究施設支援あてられた。新たな所有者からこの作品寄託受けた日本国立西洋美術館は、2015年3月17日よりこの作品常設展示する。

※この「構成と来歴」の解説は、「聖プラクセディス」の解説の一部です。
「構成と来歴」を含む「聖プラクセディス」の記事については、「聖プラクセディス」の概要を参照ください。

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