紫嶺斎泉橘とは? わかりやすく解説

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曲山人

(紫嶺斎泉橘 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 00:12 UTC 版)

曲山人(きょくさんじん、生没年不詳)とは、江戸時代戯作者

来歴

本名は仙吉。三文舎自楽、司馬山人、文盲短斎、可志丸と称す。また浮世絵師渓斎英泉の門人で画名を紫嶺斎泉橘と称した。江戸の人で貸本屋丸屋某の弟、江戸山下御門外筑波町に住む。天保4年(1833年)頃には「墨浜の漁夫」と称したことから、隅田川に近い向島のあたりに住んだとされる。筑波仙橘の名で筆耕に従事し、文政10年(1827年)頃から曲亭馬琴の筆耕を勤めた。馬琴の筆耕は天保3、4年頃までしている。戯作者としての活動は文政12年から天保5年頃にかけてで、文政12年に『恋の萍』を初作として、天保元年の『女大学』など司馬山人の戯作名で人情本を執筆する。天保2年より曲山人を名乗り、『仮名文章娘節用』は好評を博した。作には未完のものがあり、親交のあった松亭金水為永春水がその続きを書いている。生没年は不明だが、天保8年(1837年)刊行の『娘太平記操早引』二編の序文には金水が曲山人の死を悼んでおり、これ以前に没したものとみられる。

著作

  • 『恋の萍』初編 ※文政12年刊行。後編は天保元年または2年頃に刊行
  • 『当世操文庫』 ※文政12年 - 天保元年頃刊行
  • 人情其儘 女大学』 ※天保元年刊行
  • 仮名文章娘節用』 ※天保2年 - 天保5年刊行
  • 教外俗文 娘消息』 ※天保5年刊行。未完、為永春水が補綴
  • 娘太平記操早引』 ※天保8年刊行、遺稿で未完。松亭金水補綴

参考文献

  • 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]
  • 岡本勝・雲英末雄編 『近世文学研究事典』 桜楓社、1986年 ※154頁
  • 秋山虔ほか編 『日本古典文学大辞典』(第2巻) 岩波書店、1988年 ※205 - 206頁



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