多胎児
(六つ子 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 14:33 UTC 版)

多胎児(たたいじ)とは、同じ母親の胎内で同時期に発育して生まれた複数の子供である。多生児ともいう。つまり、双子(ふたご)・三つ子などの総称だが、三つ子以上を意識した呼び方である(多胎児と表現する時は、双子を除いている場合もある)[1][2]。三つ子以上を限定して指す場合、スーパーツインズ(英語: supertwins)と言う。なお、類人猿(ヒト上科)の多胎妊娠および多胎出産は非常に珍しい[3]が、多胎は多くの哺乳類(犬や猫など)で一般的に観察される出生形態の一つである。
出産の時には数分から一時間程度の時間差で産まれる事が多いが、記録では数十時間から数十日の間隔が開いて生まれる場合もあるので、誕生日・誕生年が異なる兄弟姉妹もいる。また日本では後から生まれた方を兄または姉として扱う慣習があったが1874年12月13日の太政官指令[4]により生まれた順に兄弟が定まるようになっている。
多胎と表現

胎児数によって多胎の呼称は異なり、以下のように表される。
- 胎児2人 - 双胎(そうたい、英: twins)
- 胎児3人 - 品胎(ひんたい、英: triplets)
- 胎児4人 - 要胎(ようたい、英: quadruplets)
- 胎児5人 - 周胎または格胎(しゅうたい、かくたい、英: quintuplets)
- 胎児6人 - 六胎(英: sextuplets)
- 胎児7人 - 七胎(英: septuplets)
- 胎児8人 - 八胎(英: octuplets)
- 胎児9人 - 九胎(英: nonuplets)
- 胎児10人 - 十胎(英: decuplets)
- 胎児11人 - 十一胎(英: undecuplets)
- 胎児12人 - 十二胎(英: duodecuplets)
- 胎児13人 - 十三胎(英: tridecuplets)
- 胎児14人 - 十四胎(英: quadecuplets)
- 胎児15人 - 十五胎(英: quindecuplets)
「品」「要」「周」のような表現は、漢字中に含まれる「口」または、筆画により四角形に仕切られた空間の数を、子の数に見立てたものである。
多胎と卵性

多胎の種別は、一卵性と多排卵性の組合せで決まる。稀ではあるが多胚形成(受精卵の分裂)が複数回繰り返される場合があり、一卵性多胎児が誕生する場合がある。なお卵割は単独の胚が2の階乗倍に細胞分裂していくことであるが、多胚形成は胚そのものが分裂することである。ただし一度に一つの胚(受精卵)が分裂する数は2つであり、三つ子以上の一卵性は複数回の分裂が発生していると考えられる(一度に3つ以上に分裂しない)。したがって一卵性周胎(五つ子)の場合、受精卵のうち一つは最低でも3回、最高で4回の分裂をしていると考えられる(参考画像[5])。
品胎(三つ子)と卵性
一卵性三つ子、二卵性三つ子、三卵性三つ子が存在する。二卵性三つ子は、二卵のうち一方が一卵性双生児という組合せになっている。
- 一卵性三つ子
- 元は同じ1つの受精卵から誕生した三つ子。2度の分裂過程を経て、受精卵が3つになる。1つの受精卵がまず二卵に分裂し、さらに二卵のうちの一方が分裂することで一卵性品胎となる。
- 二卵性三つ子
- 三つ子のうち2人は同じ受精卵が分裂した一卵性双生児だが、残る1人は別の受精卵から誕生した三つ子。この場合、まず2つの卵子が排卵され、それぞれが受精し二つの受精卵が誕生する。その後、一方の受精卵が分裂して一卵性双胎が生まれ結果として二卵性品胎となる。
- 三卵性三つ子
- 多排卵による3つの卵子それぞれが受精し、3つの受精卵が生じたことから誕生した三つ子。
一卵性と要胎(四つ子)
品胎と同じように四つ子の卵性も、一卵性から四卵性のケースに分かれる。四つ子の4人の中に、一卵性が含まれている組合せは4.35%であった。そのうちで四つ子全員が一卵性、つまり一卵性四つ子[6]となるケースは次のような状況である。
- 一つの受精卵が分裂(双胎の状態)
→ 二つの受精卵のうち、一方が2度目の分裂(品胎の状態)
→ 三つの受精卵のうち、1つが3度目の分裂 - 一卵性要胎
- 二つの受精卵がそれぞれ2度目の分裂 - 一卵性要胎
なお、一卵性を含む要胎の中には二卵性・三卵性の要胎も含み、一卵性品胎を含む二卵四つ子が確認されているケースも、記録にあるだけで50件程度が存在している[7]。
多胎児の出生頻度
厚生労働省 人口動態・保健統計課による2007年の人口動態調査によれば、複産(多胎出産)による出生人数は24081人であった。この年の出産総数は1089818人(うち単生児が1065737人)であるため、この年の全出生人数に占める複産による出生児の割合(24081人/1089818人)は約2.2%となる。複産の多くは双胎であるため、双生児出生率(出産母体総数に占める双胎出産者の割合)はおおよそ1%となる。
ヘリンの法則
多胎児の出生率に関する法則として、ヘリンの法則(Hellin's Law)と呼ばれる計算式がある。胎児数をnとすれば、多胎妊娠の発生率は近似的に、
多胎妊娠の場合、母体への負担が非常に大きい。妊娠高血圧症候群をはじめとした妊娠リスクも単胎妊娠と比較して大きく、場合によっては母体に生命の危険が生ずる場合もある。特に品胎以上の多胎妊娠の場合は早産になったり帝王切開を選択することが多く、NICU(新生児特定集中治療室)を備えた病院で診察を受ける事が強く推奨されている。
また多胎妊娠の場合、胎児の生育環境が母体子宮の物理的大きさに制約され、胎児の栄養状態・発育遅延の問題が生じる可能性が高い。2019年の単生児の出生時平均体重が3.02kgであるのに対し、多胎児の出生時平均体重は2.22kgである[31]。母体と複数の胎児の生存可能性の問題により、一部の胎児を人工的に堕胎させる選択をせざるを得ない場合もある。これに伴う倫理上の問題やその他の詳細については減数手術を参照のこと。

ただし多胎児の出生にリスクを伴う蓋然性は高いものの、無論のことながら順調に全員が生育する例も多い。
多胎妊娠の期間
1990年から1992年における日本の多胎妊娠調査[32]では、胎児数と妊娠期間は下記の表に見られるように、顕著な差が報告されている。
胎児数と妊娠期間 | 2胎 | 3胎 | 4胎 | 5胎 |
---|---|---|---|---|
平均在胎週数 | 35.1週 | 32.7週 | 29.3週 | 25.0週 |
多胎児の発育における問題
多胎育児は単胎児に比べ在胎週数が少なく、未熟性に代表される様々なリスクを負いやすい[33]。発育面においても、言語能力は統計的有意に遅れがみられる[34]。また、多胎育児は母子保健上のリスクが高いとされる[35]。
多胎妊娠の記録と実例
- 最大多胎数の記録
- 十五胎 - 1971年7月22日、イタリア[36]。妊娠4ヶ月時の子宮摘出手術で判明、出産に至らず。10人の女の子と5人の男の子と識別された。排卵誘発剤を使用していた。
- 出産に至った最大多胎数の記録
- 十胎 - 記録に残る最大出産人数[37]。
- 最大多胎数の記録
- 九胎 - 2021年5月1日にモロッコでマリ人の母親から9人(女児5名、男児4名)全員が生きて誕生した[38]。他の9胎例としては、1971年6月13日にオーストラリアで7人が生きて誕生した事例(死産2名、一週間以内に全員が夭逝)、また1999年3月26日にマレーシアでの事例がある(6時間以内に全員が夭逝)[39][40][41]
- 一卵性の最大多胎妊娠の記録
- 周胎(五胎) - 数例の一卵性五つ子が確認されている[42]。
- 多胎児の最大組数
- 18世紀のロシアの農民ヒョードル・ワシリエフの妻が1725年から1765年にかけて27回の出産で双子16組、三つ子7組、四つ子4組の計69人を産んだ記録がある(うち2人が早逝)。1人の女性が産んだ最多の記録と同時に四つ子及び双子の最多出産回数の記録保持者としてギネスブックに掲載されている。
著名な多胎家族
- キーズ家の四つ子姉妹 - 1915年6月4日、アメリカ合衆国のオクラホマ州にて出生。 医療記録に残っている世界初の同性の四つ子姉妹であり、4人全員が幼児期以降まで存命した[43]。姉妹のうち最後まで存命していたロベルタは2011年8月19日に96歳で亡くなった[43]。
- ディオンヌ家の五つ子姉妹 - 幼年時代以降まで存命したことが知られる世界初の五つ子である。全員が同性の五つ子姉妹であった。彼女らは1934年5月28日、カナダのオンタリオ州にて出生。当時父は30歳、母は25歳ですでに6人の子を産み(うち1人は死亡)、これは7回目の出産であった。7ヶ月で生まれたため体重が非常に軽く、最も重くても普通の産児の3分の1しかなかった。
- ローゼンコウィッツ家の六つ子 - 1974年1月11日、南アフリカ共和国のケープタウンにて出生。母親は排卵誘発剤を利用していた[44]。幼年時代以降まで存命したことが知られる世界初の六つ子となった[45]。
- 山下家の五つ子 - 日本にて1976年1月31日、鹿児島市立病院で誕生。2男3女。父はNHK政治部記者だった山下頼充。京都・清水寺の大西良慶貫主が名付け親となった。1982年4月7日、NHK特集「一年生になりました―五つ子6年間の記録」が放送された。[46]長女が東京大学に進学したことでも話題となった。
- ジャンニーニ家の六つ子 - 1980年1月11日、イタリアのフィレンツェにて出生。幼年時代以降まで存命したことが知られる二組目の六つ子であるが、奇遇にも前例のローゼンコウィッツ家の六つ子と同日に出生した[47]。
- ウォルトン家の六つ子姉妹 - 1983年11月18日、イギリスのリバプールにて出生。幼年時代以降まで存命したことが知られる世界初の全員が同性の六つ子姉妹である[48]。母親は不妊治療を受けていた[49]。
- マッコイ家の七つ子 - 1997年11月、アメリカ合衆国のアイオワ州にて出生。 幼児期以降まで存命した世界初の七つ子である。4男3女の七つ子。この七つ子には1996年生まれの姉がおり母親はいわゆる不妊状態ではなかったが、排卵誘発剤を利用した医療処置(Fertility medication)を受けていた。7胎の妊娠が確認された際、両親は減数手術を拒否。可能な限りの自然な形での出産を望み、結果として在胎31週の早産となった。早産による未熟性により、7人のうち2人に脳性麻痺が生じている。七つ子の誕生は全米で話題になり、当時のクリントン大統領も電話で祝辞を贈っている。マッコイ家は様々な公的機関や民間企業から継続的な育児支援を約束され、511m2に及ぶ家の他、資金的・物的援助を受けている。
- チュークー家の八つ子 - 1998年12月、アメリカ合衆国のテキサス州ヒューストンにて出生。八つ子全員が生きて誕生し、そのうち7人が順調に成長中。12月8日に八つ子のうち最初の子供(女)が生まれる。12月20日に残り7人(女5人男2人)が生まれる。12月20日に生まれた女の子のうち、一人が12月27日に早逝[50]。両親の母国はナイジェリア[51]。母親は排卵誘発剤を利用した医療処置(Fertility medication)を受けていた。
- スールマン家の八つ子 - 2009年1月26日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルス郊外ベルフラワーの病院でナディア・スールマン(33歳)が体外受精で八つ子(6男2女)を出産した。離婚経験があるシングルマザーで前夫との間に子供はなく、友人男性から精子の提供を受けた。ナディアはすでに同じ友人から精子の提供を受け体外受精で出産した2 - 7歳の子供6人がおり、計14人の母親になった。出産から1週間後には八つ子の世界最長生存記録を更新した[52]。
- シセー家の九つ子 - 2021年5月1日、モロッコ王国カサブランカ市のアイン・ボルハ(Ain Borja)病院でハリマ・シセー(Halima Cisse)(25歳)が自然妊娠により九つ子(4男5女)を出産した。父母の国籍はマリ共和国。妊娠時は当初七つ子と考えられていたが、マリ政府は医療施設が整ったモロッコへの移送を3月30日に決定した。コロナ禍の国際渡航制限下であったため、母親のみがモロッコに移動し、父親はモロッコに移動が出来なかった。母親のハリマはモロッコで5週間の入院の後、5月1日に30週で帝王切開により9人を出産した(出産時に初めて九つ子と判明した)。出生体重は500~1100グラム[53][54][55]。九つ子の出生後、全員が1週間以上生存している初のケースでもある。
その他
多胎児の兄弟姉妹と出生順
現在においては多胎の出生順により、「(○子中第○子)」という形式で第一子(兄・姉)、第二子以下続(弟・妹)となる。
かつて日本には「後から生まれた方を兄(姉)とする」という因習があった。これは「兄(姉)ならば先に母の中に入ったので、後から出てくるはず」、「弟(妹)が兄(姉)を守るため、先に露払いとして出てくる」などの考え方による当時の「産婆ノ妄説[56]」だったが、1874年12月13日の太政官指令[57]により「前産ノ児ヲ以テ兄姉ト定候[58](先に産まれた方を兄・姉とする)」と多胎児の兄弟姉妹の順が定められた。それ以後、少なくとも法令上は出生順により兄弟姉妹が決められている。
現在は戸籍法第四十九条第三項の定めにより、子が出生すると出生証明書を添えた上で出生の届出(出生届[59])をしなければならない。この届書に「出生の年月日時分」を記載する必要があり、届書に添えられる出生証明書にも「出生の年月日時分」、「単胎か多胎かの別及び多胎の場合には、その出産順位」などが立ち会った医師(またはそれに準ずる者)により記載されていなければならない(出生証明書の様式等を定める省令(最終改正:令和元年五月七日法務省・厚生労働省令第一号)[60])。この出生届出と出生証明書の記載[61]に従い、兄弟姉妹の順が定められている。
重複子宮と多胎児
母体が重複子宮(双角子宮)である場合、ほぼ同時期にそれぞれの子宮で受胎する可能性があり、多胎妊娠が生じる場合がある。また、複数排卵や受精胚の多胚形成による多胎妊娠が個々の子宮、あるいは一つの子宮で生じる可能性がある。重複子宮による双子や三つ子の出生は古くから報告があり[62]、1875年には三つ子の出生記録がある[63]。また重複子宮の場合、受胎時期が同時期とは限らないため、出産時期にズレが生じることもある。バングラディッシュで2019年に、1人目を出産した26日後にもう一方の子宮で育った双子が産まれてきた例(結果として三つ子)がある[64]。
一卵性多胎児と指紋
多胎数の上昇に伴って出生児の指紋形状の一致率は低下し、2001年のある調査では一卵性双生児の指紋形状一致率が88%であるのに対し、一卵性の五つ子の一致率は71%であった。これは胎児数の増加による子宮内環境の多様性が大きくなり、環境要因の影響が拡大したことが影響していると考えられている[65]。
多胎児サークル
三つ子以上の親が情報交換する場として各地に「多胎児サークル」が存在する。地方公共団体が子育て支援事業の一環として主催、あるいは補助している公的・準公的な性格のものが多いが、NPO・NGOによるもの、完全に私的なサークルとして活動しているものなど多様な形態がある。
参考文献
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関連項目
外部リンク
- 日本産婦人科医会
- Facts About Multiplet
- MultipleBirth.com
- Parenting Triplets, Quadruplets, Quintuplets, Sextuplets & More , in "About.Com:Twins and Multiplets"
六つ子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:41 UTC 版)
この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 ※ 声はアニメの声優。 本作の主人公である六つ子。誕生日は5月24日。年齢は20代前半。原作やアニメ前2作では6人全員がほとんど同じ性格で外見も区別がつかなかったが、本作ではそれぞれに性格やイメージカラーが設定されると共に、表情・髪型も微妙に変えることで差別化が図られた。また、兄弟間には明確な序列が設定されており上の兄には「兄さん」という呼称をつけるが、物語の途中からは一松がカラ松を「クソ松」と呼ぶなど多少の変化が起きている。私服はティザービジュアルで着ているものや、色違いの松の文様の入ったパーカー、共通のデザインのツナギなど兄弟でお揃いなことが多いが、その着こなし方は様々で個性が光る。全員定職には就いていないが、最終話直前に家族に起こった出来事がきっかけで考えを改めるも緊急事態で白紙になる。全員車の免許は持っている(アニメ第三話にて)。なお、兄弟全員パチンコ好きだが、互いに監視し合っており、誰かが大勝ちしても他の兄弟が目ざとく見つけて勝った分を没収するので、勝ちが個人の懐に入ることは少ない。就寝時は横長の布団を6人で使用しているなど仲は良好だが、場合によっては兄弟であっても容赦の無い態度を取る。トト子に憧れているところは相変わらず。全員の一人称は基本的に「俺」もしくは「僕」で、場面によって使い分けていることも多い。6人全員童貞。 松野 おそ松(まつの おそまつ) 声 - 櫻井孝宏 長男。イメージカラーは 赤。六つ子の基本形とも言うべき容姿をしているが、無邪気な表情が特徴的。それゆえ、弟たちと比べて見た目を含めた個性がいまいち弱いことを気にしているらしく、「プレーン」と呼ばれると怒る(2期2話「超洗剤」)。他の兄弟に対しては基本的に敬称略。 小学6年生の頃の心を持ったまま成長した「奇跡のバカ」。パチンコと競馬を人生の楽しみとしており、下手の横好きながら釣堀にもよく訪れている。 計画性がほとんど無くいい加減でずぼらな性格 。自意識は梅干し程度の大きさ。弟たちと一緒の時は大口を叩くものの、意外に人見知りで、素の状態では一人で女性に声をかけられない(2期5話「夏のおそ松さん」)し、知らない相手と一緒だとプレッシャーに耐えられず逃げ出す(3期3話アバン「ぼんくらの時代」)。しかし、ここぞという時は、長男として個性の強い弟たちをうまくまとめるリーダーシップを発揮する。 その一方で頻繁に弟たちにちょっかいを出して苛立たせるなど、長男としての風格は無いに等しいが、思い悩むカラ松の相談に乗り温かい言葉を投げかけたり、失恋に嘆く十四松の背中を押すなど、弟思いの一面もある。 2期24話で父が体調を崩して入院したことを皮切りに、現実を受け止め、就職と自立を意識するようになり、不安と向き合いながらラーメン屋でアルバイトを始める。 松野 カラ松(まつの カラまつ) 声 - 中村悠一 次男。イメージカラーは 青。太くキリッとした眉毛が特徴で、革ジャンにサングラスを掛けている。基本的に他の兄弟に対しては敬称略だが、稀におそ松に対しては「兄さん」と呼ぶ。トド松のことは呼び捨てか「トッティ」と呼ぶ。愚称は「クソ松」。 常にクールを気取って格好を付けているが、根は向こう見ずな熱い性格。極度のナルシストで自分をイケメンだと思い込んでおり、残念で痛い言動はトド松から「ナルシストを通り越してサイコパス」、おそ松から「オカルト」と評されている。兄弟や母に発言を無視されるなど性格のせいで理不尽な目に遭うことも多く、特に一松からのアタリはキツい。実はメンタルが弱くガラスのハートの持ち主であり、1期2話でハローワークの係官に机を叩かれただけでビビりあがるほど。 自身の痛さを自覚する気配こそ無いものの「みんなのことを愛しているのに傷つける」と悩んだり、兄弟たちに優しい言葉をかけるなど、ある意味純粋とも言える心を持ち合わせている。 1期24話ではチビ太の家に居候し、履歴書の書き方を練習したりハローワークで土下座も辞さず本腰を入れて就職活動をしていたが、最終話でセンバツへの出場が決まった為、実家に戻る事になった。 2期24話では就職活動についての描写はないものの、自宅の本棚の「資格の取り方」に手を伸ばしたり、音楽仲間にからかわれながら、一松が手伝いをしているチビ太の屋台を訪れ、仲良く飲んでいる場面がある。 松野 チョロ松(まつの チョロまつ) 声 - 神谷浩史 三男。イメージカラーは 緑 。他の兄弟と比べて、黒目が若干小さめで後頭部の癖毛がない 。1期13話Cパートで、ある行為をおそ松に目撃され「シコ松」というあだ名を付けられた。それ以降、その話題で度々イジられ、「チョロシコスキー」「自家発電三郎」「シコティッシュフォールド」などと呼ばれるようになる。基本的に兄弟に対しては敬称略 だが、おそ松には「兄さん」と付けており、カラ松のことは敬称略の呼び捨てと、たまに「兄さん」付きの両方で呼ぶことがある。また上記の他、兄弟から「自意識ライジング」「ライジングシコースキー」などと呼ばれることもある。2期14話では、茶髪にしてイメチェンを図ったものの似合っておらず、そのことが元でおそ松・カラ松の兄2人から一松・十四松・トド松の弟3人が理不尽に叱られるという事態を引き起こし、最後は全裸ダイビング土下座で弟たちに謝るものの、3人から怒りの報復を食らっていた。 他の兄弟と比較して常識的な考えの持ち主で性格も真面目。それゆえにツッコミ役を担うことが多く苦労人でもある。EDでは6人の中で自分が1番まともであることを主張しているが、現状を打破できていないことから「6つ子の中にまともなのが一人もいない」と他の兄弟たちを叱っていることから、チョロ松も自分が世間から見るとまともではないことを自覚している。無職であることに唯一危機感を抱いているが、優柔不断であるため、意欲だけが空回りして結局職に就けないでいる。 アイドル好き(ドルヲタ)であり、コミケにも顔を出している(1期17話「十四松まつり」)。トト子がアイドルデビューした際は率先してマネージャーを務めた。お気に入りは地下アイドルの橋本にゃー。また、「背中をトントンしてもらう」ことと引き換えに、トト子にいいように使われるなど、「女性が絡むと途端にポンコツになる」と兄弟に評されている。 1期24話では父・松造から紹介された会社に就職が決まって社員寮に引っ越すことになり、6つ子の中で最初に自立することになる。これをきっかけに、他の兄弟達もそれぞれの道を歩み出すことになり、おそ松以外が実家を出て行く展開になるものの、1期25話でおそ松宛に投函しようとした手紙が自然発火で燃え、さらに松野家が「センバツ」への出場が決まったというおそ松からの報告を受けて、会社を退職して実家に戻ることになった。 2期24話では、松造の退院後、就職活動を再開するために、意を決した表情でハローワークへ向かう描写がある。 松野 一松(まつの いちまつ) 声 - 福山潤 四男。イメージカラーは 紫。常に半目で生気がなく笑顔も冷めており、髪の毛はボサボサで猫背。基本的に他の兄弟に対しては敬称略だが、おそ松には「兄さん」と付けており、トド松に対しては、呼び捨てか「トッティ」と呼んでいる。 マイペースな皮肉屋でしれっと毒を吐くことが多いため、兄弟たちからは社会でやっていけるのかと心配されています。無気力な上にぼそぼそと話す根暗な性格 かつ自虐的で、自らをゴミ扱いすることすらある。反面、何らかのスイッチが入ると思い切りのある行動を起こす。その他「戒め」等、自虐的な発言をする割に、他者が原因でピンチに陥ったり危害を加えられそうになったりトド松やカラ松ら他兄弟を蹴落としたり自分の都合が悪くなった時に前述の破壊力のある行動で、その場を切り抜けたり、うやむやにする爆発力を見せつける。 十四松の素振りのトレーニングに望んで付き合う一方、カラ松には冷たく接するなど、兄弟に自分なりの序列をつけている様子。 猫が友達で、自らも猫化する時がある。「(兄弟がいるから)友達は要らない」と言い放つほど排他的な性格だが兄弟同様女性に対する興味はあり、女体化したイヤミとチビ太に本気で入れ込んだ挙句、金を騙し取られた事実を知った際は容赦のない報復を行った。 1期24話ではほかの4人が家を出て行った後も、しばらくおそ松とともに実家に残っていたが、やがて自分も家を出ると告げて、着の身着のままであてもなく街を彷徨い、飢えと寒さで倒れそうになっていたところを、11話のブラックサンタの回で出会った若いカップルに助けられる場面がある。25話では路地裏で猫たちとともに過ごしている所に、おそ松が「センバツ」出場決定の報を持って迎えにきたため、実家に戻ることになった。 2期24話では松造の退院後、チビ太のおでん屋台を毎晩手伝っている。 松野 十四松(まつの じゅうしまつ) 声 - 小野大輔 五男。イメージカラーは 黄色。口を開けて笑っているような表情が多く、目の焦点が合っていない。また、後頭部の癖毛は一本だけ。普段から海パンを履いている。他の兄弟に対しては、上は「○○兄さん」、トド松には「トッティ」と呼ぶ事が多い。 いつも異様に明るくハイテンションな天然系バカ。何を考えているかが分からず行動も予測不能で、兄弟たちから「子どもの頃こんなんじゃなかったよね」と言われるほどの奇行癖の持ち主で、ティザーPVでも「明るい狂人」と称されている。ただし、誰にでもしっかりと挨拶を行うなど礼儀正しい一面も持っており、一人の女の子に恋をした際は純粋に相手を想う姿も描かれている。 無類の野球好きで、暇が出来ると自前のバットで素振りの練習を行っている。川を高速のバタフライで泳ぐ、78mの遠投記録を持つなど運動神経は全般的に高い。ホームレスの知り合いがいたり、こっそり株取引をやっている、コミケで「野球モノ」(本人曰く「BL」)の自作同人誌を販売する、などの一面を見せることもある。第23話「灯油」では、寒いと機嫌が悪くなるらしく、部屋のストーブの灯油が切れたとき、他の誰かが灯油を入れに行くのを寝たフリをしてずっと待っていたり、「あー、クソ寒い」などと普段では見られないような暴言を吐いていた。 1期24話では、チョロ松の就職に続き、アルバイト内定を機にデカパンに紹介された部屋で1人暮らしを始めたが、ある日、勤務中に右腕を負傷したらしく、腕に包帯を巻き三角巾で吊した痛々しい姿で帰宅して、デカパンに心配されるシーンがある。しかし、次の25話では自室にいるところに、おそ松から「センバツ」出場決定の知らせを受け、包帯を投げ捨て喜び勇んで実家に戻る。 松野 トド松(まつの トドまつ) 声 - 入野自由 / アクター - たじましんぺい(第2期第1話) 六男。イメージカラーは ピンク 。兄たちより黒目が若干大きめでアヒル口など、愛嬌のある表情をしていることが多い。また、帽子をよくかぶっており、スマホを手にしていることが多い。愛称は「トッティ」。ほかの5人に対しては、ほぼ常に「~兄さん」と呼んでいるが、例外的に、2期7話では合コン時に無神経な発言をするおそ松に対して、また、3期5話Aパートでは、ドラッグストアの女性店員をめぐっての恋の宣戦布告でカラ松に対して、「兄さん」を付けず、呼び捨てで呼んでいました。 兄弟の中で一番コミュニケーション能力が高く、甘え上手だが、弟らしいかわいさを利用するなどあざとく腹黒い一面もあり「ドライモンスター」とも称される。20代になった現在でも夜中に一人でトイレに行くことができなかったが、一人暮らしをきっかけに克服した描写がある。 1期7話では、有名大学の学生と詐称して若者に人気のカフェ「スタバァ」で働き始め、バイト仲間のアイダとサチコに合コンに誘われるなど、一時期「リア充」の仲間入りを果たしかけるものの、兄たちの妨害で失敗に終わっている。この回を皮切りに、怒りが頂点に達すると目を剥いて鬼のような恐ろしい形相を度々見せるようになった。 1期24話では、チョロ松の就職祝いの場をぶち壊した上に見送りもしなかったおそ松を、丸めた雑誌で殴りつけて喧嘩をし、その後チョロ松に次いで家を出て、一人暮らしを始めたが、25話で松野家が「センバツ」に選ばれたという連絡を受け、実家に戻ってきた。 2期24話では松造の退院後、どこかの会社に就職したらしく、作業着らしき上着を来たまま、同僚と飲みに行っている。
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