柳斎重春とは? わかりやすく解説

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柳斎重春

読み方りゅうさい しげはる

江戸末期浮世絵師長崎生。号は斎、通称は甚治郎、名は安秀、別号玉柳齋・玉柳亭等。瀧川國廣、のちに柳川重信に学ぶ。役者絵の他に看板絵挿絵等も多く描いた嘉永5年(1852)歿、51才。

柳斎重春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 00:28 UTC 版)

柳斎 重春(りゅうさい しげはる、享和2年〈1802年〉 - 嘉永5年5月29日1852年7月16日[1])とは、江戸時代後期の大坂浮世絵師


  1. ^ 生年は享和3年、没年は嘉永6年5月29日ともいわれているが(『浮世絵師伝』等)、長崎県長崎市の永昌寺にある重春の墓には「嘉永五壬子五月二十九日」、「行年五十一」とあることが指摘されている。松平進「柳斎重春 ―上方の役者絵(六)―」58頁参照。
  2. ^ 国広とは「肩書きに明記する形で」師弟関係があったとはいえず、重信も文政5年以降、九年の間大坂にいたが、重春の画風が江戸風から上方風に変化した時期や上記『役者風俗三国志』の記述などから、重信とも師弟の関係にあったとは認め難いとの意見が出されている。「柳斎重春 ―上方の役者絵(六)―」89 - 90頁。
  3. ^ 伊藤大輔責任編集 『平成の大遷座祭斎行記念 金刀比羅宮の名宝─絵画』 金刀比羅宮、2004年9月1日、pp.206、370。


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