柳文朝とは? わかりやすく解説

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柳文朝(二代)

読み方やなぎ ぶんちょう

江戸後期浮世絵師別号に南斎。初代柳文朝の門人江戸尾張町辺に住む。錦絵は描かず、呉服屋仕入物などに画名見られると伝わるが、肉筆画が遺されている。文政3年1820)歿、享年未詳

柳文朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 00:00 UTC 版)

柳 文朝(やなぎ ぶんちょう、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

来歴

師系・俗名不明。南柳斎、南龍斎と号す。渓斎英泉編の『無名翁随筆』によれば江戸通油町南新道に住み、狩野派より絵を学び浮世絵を描き、義太夫節を好んで「朝太夫」の門弟となり、「二代目大谷十丁」(二代目大谷廣次)の似顔絵が得意だったという。また『増補浮世絵類考』には「月岑云、或説に、明和の末、紺屋上絵書文朝、始て天王祭礼の時、似顔の行灯を画く。是役者似顔の始にして、勝川春章に始まらずといへり」とある。「上絵書」とは染物で染めずに白いままのところに紋や模様を描く職人、「天王祭礼」は神田明神にあった牛頭天王三社の祭礼のことで、文朝の本業は紺屋(染物屋)であり、それが明和の末年に、祭行灯に役者の似顔絵を描いたということである。ほかには『鳴髪鐘入桜』など常磐津節正本の表紙絵を手がけた。作は肉筆画が知られる。

作品

参考文献

  • 渓斎英泉編 『無名翁随筆』〈『燕石十種』第三巻〉 中央公論社、1979年
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※127頁
  • 日本浮世絵博物館編 『肉筆浮世絵撰集 解説』 学習研究社、1985年 ※63頁


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