墨川亭雪麿とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 墨川亭雪麿の意味・解説 

墨川亭雪麿

読み方ぼくせんてい ゆきまろ

越後高田藩士。通称田中喜三郎。名は親敬、字は虞徳。江戸によって草双紙作り、又狂歌真顔に学ぶ。安政3年1856)歿、60才。

喜多川雪麿

(墨川亭雪麿 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:57 UTC 版)

喜多川 雪麿(きたがわ ゆきまる、寛政9年〈1797年〉 - 安政3年12月5日1856年12月31日〉)とは、江戸時代浮世絵師

来歴

喜多川月麿の門人。姓は田中、名は親敬。通称善三郎[1]。字は虞徳。墨川亭、敬丹舎と号す。越後高田藩士。文化末年から嘉永の頃にかけて錦絵美人画、版本の挿絵肉筆美人画を描く。鹿都部真顔に師事して狂歌も詠んだ。文政6年(1823年)以降からは戯作者としても活躍している。享年60。白金台町妙園寺に葬る。

作品

脚注

  1. ^ 野崎左文 『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、157頁。 

参考文献

  • 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※近代デジタルライブラリーに本文あり。149コマ目。
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「墨川亭雪麿」の関連用語

墨川亭雪麿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



墨川亭雪麿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの喜多川雪麿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS