アルバム製作
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ロックバンドと共同でのアルバム制作 1stアルバム『青春の詩』の製作にあたり、エレックレコードの専務兼プロデューサー・浅沼勇は自身が審査員を務めたヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト第2回のボーカルグループサウンド部門で優勝したマックスを起用した。スタジオ・ミュージシャンと呼ばれるプロが歌謡曲歌手の音作りを専門としていた当時では、ひとつのロックバンドがアーティストと綿密に打ち合わせをしながら音を作っていく、という画期的なレコーディングであった。 浅沼はマックスを起用した理由について「拓郎のフォークの荒削りな良さを消さず、拓郎ワールドを創っていけるタイトなリズムを持つバンドが必要と考えた」と述べている。 アルバム・セールス時代の先鞭 1972年7月21日にリリースしたLPレコード(アルバム)『元気です。』は、フォーク系、ニューミュージック系シンガーとして、またシンガーソングライターとしてオリコン史上初の1位獲得アルバムである。それまでの1位獲得アルバムは、演歌か女性アイドルか、洋楽に限られていて、演歌以外の男性歌手としても初の1位獲得であった。アルバムが売れない時代に、1ヶ月間で40万枚を売り上げるというシングル並みのセールスを記録、オリコンアルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を独走しアルバム・セールス時代の先鞭をつけた。アルバムがシングルレコードの寄せ集めではなく、アルバムとして一つの主張をもった作品として考えられるようになるのは、拓郎や小椋佳、井上陽水らフォークシンガーの良質なアルバムの制作と大ヒットからである。 ライブ・アルバム 拓郎が人気者になった理由の一つに喋りの面白さが挙げられる。また拓郎の独特の口調「○○でアリマス」などの言い回しもよく流行った。1973年に本格的なブラス、ストリングスを加えて行われたライブを収録したアルバム『LIVE'73』は日本のレコード史上最初の本格的なライヴアルバムともいわれる。このライブで歌われた楽曲は大半が新曲。まだステージで一度も歌ったことのない新曲をライブで披露するという試みも前例のないものであった。つまりライブ盤なのにスタジオ盤の気概を持つ。
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