沼田月斎とは? わかりやすく解説

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沼田月斎

読み方ぬまた げっさい

江戸後期画家尾張名古屋藩士。名は正民、字は士彝。通称は半左衛門別号凌雲二世歌政等。初め牧墨僊一世歌政)に、また名古屋滞在中の葛飾北斎に学ぶ。のち張月樵山本梅逸従い南画一家を成す門人川崎美政岩田古朴服部月真らがいる。元治元年(1864)歿、78才。

沼田月斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:24 UTC 版)

沼田 月斎(ぬまた げっさい、天明7年(1787年) - 元治元年6月29日1864年8月1日))は、江戸時代後期の浮世絵師。姓は沼田、名は正民または政民。俗称は半左衛門。は士彝。凌雲とも号す。

生涯

牧墨僊及び葛飾北斎の門人。150石取りの尾張藩の侍で代官町に住んだ。文化元年(1804年)に大番組となっている。初め牧墨僊に絵を学び、のちに墨僊からその前名である月斎歌政の名を譲られ、二代目月斎歌政と称した。これは墨僊の妻が沼田氏で、月斎と何らかの繋がりがあったためとも思われる[1]。文化9年(1812年)、名古屋滞在中の葛飾北斎からも墨僊とともに絵を学んでいる。

文政のころ月斎を名乗り、文政元年(1818年)刊行の『北斎画鏡』や、翌年刊行の『北斎漫画』九編などの奥付に、校合門人の一人として月斎歌政の名前が見られる。版本の作としては天保14年(1843年)刊行の『絵本今川状』などがある。肉筆浮世絵では美人画を得意としたが、「歌政」と署名した作品は後に師のものと間違われる場合もあった[1]

天保以降は浮世絵から離れて張月樵山本梅逸に師事して南画で一家を成し嘉永6年(1853年)には画壇から退く。享年78。門人に埴原月岬大石真虎川崎千虎川崎美政、岩田古朴、服部月真、今井雪政らがいる。

作品

作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 款記・印章 備考
遊女立姿図 絹本着色 1幅 東京国立博物館 画中美人のやや両目が離れた艶冶な容貌から、渓斎英泉の影響が指摘される[2]
鎌倉江戸道中図巻 紙本淡彩 1巻 板橋区立美術館 文化10年(1813年
大夫図 絹本着色 1幅 神戸市立博物館 款記「歌政寫」
二美人図 紙本着色 1幅 名古屋市博物館
納涼美人図 絹本着色 1幅 熊本県立美術館 款記「月斎運雪戯画」/「月斎」白文方印・「月斎」白文円印
花魁図 絹本着色 1幅 フリーア美術館
唄いの師匠図 絹本着色 1幅 フリーア美術館
羽根突きの図

脚注

  1. ^ a b 『郷土の美人画考─江戸から現代まで─』p.14。
  2. ^ 『東京国立博物館所蔵 肉筆浮世絵』。

参考文献

展覧会図録
  • 『東京国立博物館所蔵 肉筆浮世絵』 東京国立博物館、1993年、p.120
  • 熊本県立美術館編 『今西コレクション名品展III』 熊本県立美術館、1991年
  • 名古屋市美術館 中日新聞社文化事業部編集 『郷土の美人画考─江戸から現代まで─』 名古屋市美術館 中日新聞社 東海テレビ放送、1997年、pp.42-43、108-109



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