中期型(E-6シリーズ)
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「ルナ計画」の記事における「中期型(E-6シリーズ)」の解説
モルニヤロケットで打ち上げられた型式で、重量は1.5トン前後だった。減速用ロケットエンジンを搭載したユニットに着陸機や軌道船が結合するという構成になっており、設計の共通化が図られた。 E-6 4号、5号、6号、7号、8号、9号で使用。ルナの名前が与えられていないこの型式の探査機として、スプートニク25号、コスモス60号がある。世界初の月面軟着陸を目指した。着陸機は脚を持たない球形のカプセルで、着陸前に飛行ステージによって減速を行い、エアバッグによる着陸を行った。着陸後はカプセルの半分が花びらのように展開し、周辺の写真を撮影して送信した。8号までは全て失敗したが、9号で世界初の月軟着陸が達成された。 E-6S コスモス111号とルナ10号で使用。着陸機に代わって周回機が搭載されていた。周回機の重量は245kgで、7種類の科学観測装置による観測を行った。コスモス111号は失敗したが、ルナ10号が世界初の月の人工衛星(地球の孫衛星)になり、月軌道上から56日間の観測を行った。 E-6LF 11号と12号で使用。E-6Sと同じ周回探査機だったが、観測装置が増強されていた。11号と12号では搭載する観測装置が異なり、11号は月の組成などを調べたのに対し12号はカメラで月の地形を観測した。それぞれ38日間と85日間の探査を行っている。 E-6M 13号で使用。E-6を改良した着陸型の探査機。基本的な設計はそのままだったが、新たに土壌観測装置などの機材が追加され、全備重量が1.7トンに増大した。 E-6LS 14号で使用。周回探査機。E-6シリーズの最後の型式だった。
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中期型
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1943年7月~1944年2月生産。 砲塔防盾左側の照準孔部分の装甲の増厚(1942年12月~) 装填手用ハッチの前に前方監視用のペリスコープの追加(1943年1月~) ベンチレーターが砲塔中央に移動 砲塔両側面の発煙弾発射器の廃止(1943年6月~) 7個のペリスコープ、スライド式ハッチ、対空銃架を備えた、背の低い新型キューポラの採用(1943年7月~) 車体後部のファイフェル・フィルターの廃止(1943年8月~) 対戦車磁気吸着地雷を防ぐための、車体/砲塔の垂直面に施す、ツィンメリット・コーティングの標準仕様化(1943年9月~) 車体右後部に主砲用のトラベリング・ロックの追加(1943年11月~) ボッシュ・ライトが1個になり、車体前部中央に移動(1943年12月~) 砲塔左後ろ側面の大型ピストルポートの廃止(1944年1月~) 第一転輪の外側1枚の撤去(東部戦線のみ。悪路の泥や雪から起動輪を守るため)
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中期型
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「ホンダ・ロードレーサー」の記事における「中期型」の解説
レーシングオプションの「Yキット」を組み込んだモデルで83台が製造された。初期型と比較すると以下の変更点を持つ。
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中期型
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2001年式から改造が加えられた。前部カウルが変更され、ライディングポジションはフットペダルが下がり、ハンドルが高くなり、よりツアラー志向になった。さらにABS2は動作選択が可能なパーシャルインテグラルABSに置き換えられた。 K1200RS後期型(2001年-2004年)全長2250mm、全高1248mm、ハンドル幅680mm、ホイールベース1555mm、グランドクリアランス125mm、総重量285kg、許容重量500kg、積載重量215kg K1200GT前期型(2002年末-2005年、日本発売は2003年3月) - K1200RS後期型とほぼ同構造の後継車種。全長2250mm、全高1248mm、ハンドル幅680mm、ホイールベース1555mm、グランドクリアランス125mm、総重量285kg、許容重量500kg、積載重量215kg K1200LT中期型(2001年-2007年)
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中期型
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「フェラーリ・テスタロッサ」の記事における「中期型」の解説
1986年に改良を受け、初期型ではイタリア法規に従い運転席側ミラーのみをAピラーの中ほどの高さに配置するが、海外諸国の法規も考慮され、一般的なAピラー根本にミラー位置を変更した。またルームミラーの位置が初期型のセンターコンソール前方からアームで吊り下げて固定されているタイプから、フロントガラスに直接貼り付けるタイプに変更された。 また燃料供給システムがKEジェトロニックとなった。公称出力等に変更はなかった。 1986年モデルでは、ホイールは初期型と同じデザインだが、標準の直径16インチに変更され、幅はフロントで8J、リアで10J。グッドイヤーゲイターバック225 / 50VR16(フロント)と255 / 50VR16(リア)が装着された。しかし、米国市場では、1989年モデルまでメートルサイズのTRXホイールが装着された。
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中期型(2012年-2014年 )
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「ルノーサムスン・SM3」の記事における「中期型(2012年-2014年 )」の解説
2012年8月27日 - マイナーチェンジを施した上で2013年モデルとして発表。9月1日より発売を開始。3年ぶりの大幅な手直しとなる今回は、洗練美と躍動性を強調した「モダンダイナミズムデザイン(Modern Dynamism Design)」をコンセプトに開発された。エクステリアはバンパー、フロントグリル、ヘッドライトの意匠が一新され、同時に、エンブレムの書体もL47型SM7と同一のものに変更。また、ボディカラーには新色として「オリエンタルレッド」と「エボニーブラウン」を追加。インテリアについてはかなり手が加えられ、メーター部分にはカラー液晶を用いた「ダイナミックカラーデジタルクラスター」を採用し、見やすさと先進性を高次元で両立させるとともに、LEとREについてはパーキングブレーキを従来のサイドレバー式から準中型車クラス初の電子式(E-PKB)に変更することで運転席周辺のスペース効率を向上させた。また、スマートフォンと連携してWi-Fi通信等、各種エンターテイメントを楽しめるオーディオシステム「マルチメディアインフォメーションシステム」やクルーズコントロール、駐車を助ける「ダイナミックパーキングガイドシステム」などを新採用。エンジンについても新開発の1.6L「H4M k」を採用し(日産・ジューク同様、デュアルインジェクターを採用)、それに組み合わせるCVTも新開発の「X-CVT」(日産車に採用される副変速機つきCVTと同一)に置換された。これらにより、クラストップの17.5km/Lを実現させている。2.0Lエンジン搭載の「20」シリーズと5MTは廃止された(同時にルノーサムスンのラインナップからもMTが消えた)。 2013年6月1日 - 2014モデル発表。同時に、ソウルモーターショー2013で先行公開されたスポーツグレード「XE」を追加。「SEプラス」をベースに専用17インチアルミホイール、ブラック処理のルーフとドアミラーカバー、白と黒を基調としたインテリアを備えている。
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中期型(0087年12月~)
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「Ζガンダム」の記事における「中期型(0087年12月~)」の解説
0087年12月以降の仕様。フライングアーマーをFXA-01B型に更新している。初期型と比較して肩部は内部フレームの変更のほか前後装甲のスパイクノズルとプロペラントタンクが一体化され、胸部は外装埋込式のレーダーユニットを設置、初期型のアンテナといった一部の機能が一点に集約されるなど、細かな変更点は多岐にわたる。資料内で「中期型以降」という表現が多用されている通り、後期型とは比較的多くの部分が共通する。
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中期型(1972年 - 1973年)
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「国鉄485系電車」の記事における「中期型(1972年 - 1973年)」の解説
1972年下半期から製造されたグループで、向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。また以下に示す大きな設計変更が実施された。 中期型MM'ユニット新製時車両番号一覧モハ485モハ48497 201 ↓135 239 136 601 137 240 ↓145 248 146 602 147 249 ↓206 308 クハ481形は将来予想される分割・併合運転を考慮しボンネットを廃止して前面貫通形を採用した。構造的にはクハネ581形・583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。正面の列車名表示器は貫通扉幅の制約から小型化された手動式である。 営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお」からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接もしくは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。 モハ484形は冷房装置は1基で1両全体を冷房できるAU71A形集中式冷房装置へ、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更となり、特徴的なきのこ形カバーを持つAU12形や薄板プレスの車内ルーバーは廃止され機能面が優先された。また、モハ484形は集中式冷房装置への変更に伴い平ら天井となった。 上述2形式は定員変更も実施されたため新たにクハ481形では200番台、モハ484形では200番台のほか、後述する600番台の番台区分がされたが、モハ485形・サロ481形・サシ481形は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。このためそれまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。 クハ481形 (201 - 263) 上述した貫通型への設計変更のほか、210 kVA MGと容量を2,000 L/minへ変更したMH113-C2000形CPを床下搭載とした上で連結面車体長も21,000 mmと短縮されたが、客室スペースは拡大されたため定員は0・100番台から8名増の64名となったほか、以下の特徴を持つ。本区分は全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る201 - 224・227 - 230・235 - 238・254 - 263の42両が青森運転所に、225・226・231 - 234・239 - 253の21両が向日町運転所に集中配置された。青森には100番台車も10両が配置されていたが、200番台配置に伴い全車が向日町運転所に早期転出となった。これは当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり準備段階として集中配置を行ったもののホーム有効長の問題・奥羽本線板谷峠急勾配によるM:T比2:1の制約・新形式導入の必要性や輸送量などの諸事情等で計画は白紙に戻された。さらに欠点である隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進み青森配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出した。 青森配置車の203・204・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり1976年に撤去された。 運転室への昇降は、201 - 220がはしご式、221以降が階段式である。また階段式車では客室から乗務員室へのドアを右側にオフセットする設計変更が行われた。 運転台からの後方監視窓はない。 2016年10月2日付でJR九州大分車両センター所属の256が廃車され区分消滅。 モハ484-206 モハ484形 (201 - 308) AU71形搭載によりAU41形床置冷房装置収納機器室と業務用室を廃止したため定員が8名増加し72名となった。 298が残存していたが、2016年1月28日で廃車となり区分消滅。 モハ484形 (601・602) 200番台に車掌室と業務用室を設けたための番台区分。定員は200番台より8名少ない64名。分割民営化でJR九州に承継されたが2000年に廃車。一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込み、青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結していたため編成中央部付近に専務車掌室を持つ普通車が必要となり本番台区分が製造された。この構造は後の1000・1500番台に承継された。 モハ485形 (97 - 206) 196が残存していたが、2016年1月28日で廃車となり区分消滅。 サロ481-97 サロ481形 (52 - 103) 本グループは車籍復活車も含めて民営化時に本形式として継承された車両数は52両中32両。国鉄時代に廃車となったのは4両のみであるほか、他形式への改造も19両と多いのも特徴である。 また国鉄時代にサロ183-1052へ改造された98は、JR東日本継承後の1988年に本形式へ復元ならびに原番号復帰と同時に座席を2+1などにするグレードアップ化改造を施工された。 2004年2月にJR西日本が承継した68・71の廃車により本グループは消滅。 サシ481-52AU13E形分散式冷房装置搭載 サシ481-40車内冷風吹出口が小型化 サシ481形 (40 - 72) 国鉄時代に54・55・69 - 71の5両がサロ481-501 - 505へ、52・67の2両は一旦廃車され車籍抹消となった後に車籍復活とスシ24 3・501へ改造された。 分割民営化時にはJR東日本に64・68、JR北海道に50の3両が承継された。JR東日本所属の2両は1988年にスシ24 504・505へ、50は1989年にスシ24 508へ改造され本形式は消滅した。 クハ481-201 - 263製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛日本車輌川崎重工業日立製作所近畿車輛1972 青森 201 - 204 205・206211・212 207・208213 - 218227・228 209・210219・220 向日町 225・226 1973 青森 235258・259 221 - 224254・255 229・230256・257 237・238262・263 236260・261 向日町 233・234245・246 243・244 231・232251 - 253 239 - 242247 - 250 モハ484形中期型製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛日本車輌川崎重工業日立製作所近畿車輛1972 青森 201 - 208 209 - 212221 - 224 213 - 216230 - 233247・248602 217 - 220 向日町 225 - 229243 - 246 234 - 236 1973 青森 293 - 296 237 - 239285 - 288601 289 - 292 262 - 264301 - 308 297 - 300 向日町 256 - 258273・274 240 - 242271・272277 249 - 255281 - 284 265 - 270275・276278 - 280 259 - 261 モハ485形中期型製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛日本車輌川崎重工業日立製作所近畿車輛1972 青森 97 - 104 105 - 108117 - 120 109 - 112126 - 129144 - 146 113 - 116 向日町 121 - 125140 - 143 130 - 132 1973 青森 191 - 194 133 - 136183 - 186 187 - 190 160 - 162199 - 206 195 - 198 向日町 154 - 156171・172 147 - 153169・170 147 - 153179 - 182 163 - 168173 - 178 157 - 159 サロ481-52 - 103製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛日本車輌川崎重工業日立製作所近畿車輛1972 青森 52 - 55 56・57・59 64・72・73 58 向日町 60 - 6370・71 65・66 1973 青森 101 67・99 100 103 102 仙台 84 - 86 向日町 79 - 8191・92 68・69 74 - 7897・98 87 - 9093 - 96 82・83 サシ481-40 - 72製造メーカー別分類製造年次新製配置東急車輛日本車輌川崎重工業日立製作所近畿車輛1972 青森 40・41 42・45 43・4854・55 44 向日町 46・47 49・53 1973 青森 70 50・68 69 72 71 仙台 60 向日町 58・64 51・5263・67 56・5765・66 61・62 59
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中期型(1972年 - 1973年)
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「国鉄485系電車」の記事における「中期型(1972年 - 1973年)」の解説
クハ489形600番台 485系200番台と同じく先頭車貫通化や冷房装置変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。 クハ489形は下り方が200番台、上り方が0・500番台とは異なり+400の600番台に区分されたが、CPを床下搭載とし容量がベースとなるクハ481形200番台同様容量が2,100 L/minへ減少したMH113-C2000型となったことから、横軽区間でパンクさせた空気ばね台車への圧縮空気供給時間を0・500番台と同等にさせるため600番台は2基搭載とした。JR東日本へ継承されたクハ489形は、本グループに属する201 - 203・601 - 603の6両である。JR西日本継承車は、200番台が204・205の廃車で2003年に、600番台が604の廃車で2011年に廃区分番台となった。 モハ488形は冷房装置を集中式のAU71形へ変更により乗車定員が8名増加となったため200番台に区分されたが、モハ489形は冷房装置をAU13E型へ変更したのみで続番となったことから、それまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。本グループではモハ489-16+モハ488-201 - モハ489-30+モハ488-215の15組30両が該当し、民営化時には全車JR西日本が承継。 付随車はモハ489形同様に冷房装置変更のみのため基本番台からの続番を踏襲するが、サハ489形は初期型でCP搭載改造を施工された1 - 4 → 201 - 204に対応して5-を附番し、新製当初からCPを搭載するほか、1986年までに他形式へ改造された。 サロ489形は13がJR西日本へ、14 - 16がJR東日本へ継承された以外は1986年までにサロ110形へ改造された。 サシ489形は1986年 - 1987年に全車廃車となったが、民営化後の1989年3月に7が車籍復活と同時にスシ24 507へ改造されJR東日本尾久車両センターへ配置された。 また本区分では1972年下期製造車と1973年製造車では以下の相違が存在する。 1972年下期製造車 向日町運転所へ「白山」2往復化と同所の485系との共通予備車名義により11両×3編成で落成配置されたグループである。 サハ489形1両はサハ481形改造車を充当。サシ489形1両はサシ181形改造の100番台を充当。 1973年製造車 「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両×2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。同年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。 向日町所属車は3月15日付で0・500番台2編成と200・600番台1編成。7月に0・500番台2編成と200・600番台1編成。9月に200・600番台1編成が金沢に転出。11両のままとされた0・500番台1編成のみ向日町に残存し引続き共通予備車とされたが、翌1974年4月に純増備となる485系が配置されたため金沢に転出した。 489系中期型製造メーカー別分類形式製造年次予算東急車輛近畿車輛日立製作所モハ489 1972 47年第1次民有 16 - 18 19 - 21 22 1973 47年第1次債務 23 - 25 26 - 30 モハ488 1972 47年第1次民有 201 - 203 204 - 206 207 1973 47年第1次債務 208 - 210 211 - 215 クハ489 1972 47年第1次民有 201・601 202・602 203・603 1973 47年第1次債務 204・604 205・605 サロ489 1972 47年第1次民有 11・12 13・14 1973 47年第1次債務 15・16 17 - 20 サハ489 1973 47年第1次債務 5 6 - 8 サシ489 1972 47年第1次民有 5 6 1973 47年第1次債務 7 8
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中期型
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「国鉄ホキ2500形貨車」の記事における「中期型」の解説
ホキ2540 - ホキ2589が該当。初期型の使用実績を基に、その問題点を改良した50両が1968年度に製造・増備されている。初期型に設けられていた叩き板を製造段階で廃止したほか、複数個所に改良が施されていた。
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中期型(シリーズ2・1978年-1980年)
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「フィアット・131」の記事における「中期型(シリーズ2・1978年-1980年)」の解説
1978年にはマイナーチェンジを受け、外観はヘッドライトが大型の角型2灯式に改められ、テールライトも大型化、内装も従来の特徴のない旧式なデザインからスライド式のグローブボックスや個性的なメーターの文字盤を持つ特色あるものに変更され、全体的に高級感を増した。5ドアワゴンの名称は「パノラマ」に変更された。 また124時代の「スペシャルT」以来途絶えていたDOHCエンジン車が本国でも「スーパーミラフィオーリ」(4ドア)・「レーシング」(2ドア)の名前で復活した。スーパーミラフィオーリのDOHCエンジンは1,301cc 78馬力または1,585cc 96馬力であったのに対し、レーシングは1,995cc 115馬力を搭載、大小2つの丸型ヘッドライトを持つ専用グリル・オーバーフェンダー・5速ギアボックスを装備し、最高速度は180km/hに達した。同時に ディーゼルエンジン車も追加され、1,995cc 60馬力と2,445cc 72馬力が用意された。 日本市場には東邦モーターズによって対米仕様1,995ccのスーパーミラフィオーリが主に輸入され、3速オートマチック付きとなり、後期にはパワーステアリングも装備されたので比較的多くが輸入された。また、型式認定取得が容易になる少数限定枠を利用してレーシングも僅かながら輸入された。
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中期型(1970年10月-1977年11月)
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「いすゞ・フローリアン」の記事における「中期型(1970年10月-1977年11月)」の解説
1970年(昭和45年)10月 - 二度目のマイナーチェンジ。全グレードが丸型4ヘッドランプ(規格型)に変更となる。同じ丸型4灯でもTSのマスクとは打って変わり、メリハリのきいた造形となった。 ライトベゼルやグリルを金属のプレス品から大型の樹脂一体成型品へ置き換えて、従来難しかった立体的な造形と部品点数の削減を両立させる手法は、この時代の全メーカーの自動車に見られた。 セダンのリアまわりはボディ形状こそ初期型の1969年以降のモデルとほとんど変わっていないが、バックアップランプとリフレクター、その脇のガーニッシュの形状が変更される。前後ともに、クルマを大きく見せるためのデザインへと変更されたが、オリジナルのままのボディーラインとのマッチングには違和感があり、初期のイタリア車風の上品な雰囲気はここで失われている。 1,600ccSOHCガソリンのPA20型、パワーアップ版の1,800ccSOHCガソリンエンジン車であるPA30型が加わる。他社がモデルチェンジを繰り返す中、手直しで済ませたこの代以降は販売では苦戦が続き、法人需要に頼るのみで先細り状態となる。 1973年(昭和48年)11月 - マイナーチェンジを実施。フロントターンシグナルは中期型117クーペと共通のものに変更された。 ライトバンも同時に変更されたが、生産台数がセダンより少なく新たに金型を起こすことが許されなかったため、テールランプの形状はそのままで、その下に独立していたバックアップランプのレンズをアンバーに変更したうえでリヤウインカーとした。追い出されたかたちのバックアップランプはバンパー吊り下げの汎用品とされた。 同時に1,600ccのPA20型が廃止されている。 1975年(昭和50年)11月 - 昭和50年排出ガス規制のための変更。対策困難な115馬力のスポーティ仕様のTS、1800DXオートマチックがカタログ落ちする。 1976年(昭和51年)9月 - 昭和51年排出ガス規制への適合のための変更。グレードは5速マニュアルでクーラー付の豪華仕様の1800スーパーDXのみ、車体色もマルーンのみという完全1車型の、バリエーションが全くない状態となった。 ワスプに替わり生産されることになったピックアップトラックであるファスター / シボレー・LUVも、ベースとなるコンポーネンツがフローリアン以外になかったため、ボディーパネルにいたるまで部品の多くが流用されている。
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中期型
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「MiG-23 (航空機)」の記事における「中期型」の解説
前線戦闘機として開発された。 MiG-23M(МиГ-23М) ソ連国内向け型。 エンジンはR-29B-300となり、主翼の可変翼の前縁付け根部には半円形の切り込みが付けられており、可変翼を後退させるとドッグトゥースを形成して翼端失速を防いでいる。 機首の火器管制レーダーはパルス・ドップラー・レーダーのサプフィール23D-Shレーダーを搭載した。このレーダーは、アメリカのF-4Jに搭載されていた、AN/AWG-10レーダーから取得した情報を基に開発されたと言われており、射程外射程(BVR)AAMのR-23(AA-7)が搭載可能となり、MiG-21クラスの目標であれば距離55kmで探知可能で、35kmの距離からR-23により攻撃することが可能となった。このレーダーの搭載により、機首部の電波透過材部の形状が大幅に変更となった。また、初めて本格的な採用となった赤外線探知装置としてTI-23を装備した。これは、のちにTI-23-1によって更新された。ミサイル誘導装置としては、デーリタNGとラズーリSMが搭載された。NATOのコードネームはフロッガーB。MiG-23M(E)(МиГ-23М(Э)) 輸出型。ワルシャワ条約機構外への輸出用で、機体能力は大幅にダウングレードされていた。 サプフィール21レーダーを装備し、赤外線探知装置は装備しなかった。赤外線誘導型のR-23Tは運用可能であったものの、レーダー誘導型のR-23Rは運用できなかった。主としてアラブ諸国で運用された。輸出は1973年より開始された。 MiG-23MS(МиГ-23МС) 輸出型。 サプフィール21を装備した。ワルシャワ条約機構外への輸出用で、エンジンがR-27、レーダーが「ジェイバード」になるなど、機体能力は大幅にダウングレードされていた。 サプフィール21レーダーを装備した。赤外線誘導型のR-23Tは運用可能であったものの、レーダー誘導型のR-23Rは運用できなかった。主としてアラブ諸国やアフリカ諸国で運用された。輸出は1973年より開始された。 MiG-23MF(МиГ-23МФ) ワルシャワ条約機構加盟国向け輸出型。 MiG-23Mとほぼ同規格の機体で、MiG-23Mと同じサプフィール23Dレーダーを搭載した。輸出は1977年より開始され、のちにワルシャワ条約機構外へも輸出された。
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