中期密教
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中期密教では大日如来(毘盧遮那仏)の化身である大黒天によって調伏され、死者の心臓であれば食べることを許可されたという説話が生まれた。大黒天は尸林で荼枳尼を召集し、降三世の法門によってこれを降伏し仏道に帰依させた。そして「キリカク」という真言と印を荼枳尼に授けたとされる。自由自在の通力を有し、6ヶ月前に人の死を知り、死ぬまではその人を加護し、死の直後に心臓をとってこれを食べるといわれる。人間の心臓には「人黄」という生命力の源があり、それが荼枳尼の呪力の元となっているのである。
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中期密教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:43 UTC 版)
ヒンドゥー教の興隆に対抗するために体系化された中期密教では、釈迦が説法する形式の大乗経典とは異なる大日如来または大毘盧遮那仏が説法する形式の密教経典が編纂された。7世紀頃に『大日経』や『初会金剛頂経』が成立すると多様な仏尊を擁する密教の世界観が誕生し、密教における仏尊の階層化・体系化が進んでいった。前期密教の真言・陀羅尼が除災招福を中心とする現世利益であったのに対し、中期密教の真言・陀羅尼は悟りを求め成仏するための手段としての性格を強め、それまで別箇であった印契・真言・観法の「三密」を統合した組織的な修行法が完成された。空海によって日本に伝えられた真言密教はここまでである。
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中期密教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:58 UTC 版)
新興のヒンドゥー教に対抗できるように、本格的な仏教として密教の理論体系化が試みられて中期密教が確立した。中期密教では、世尊(Bhagavān)としての釈尊が説法する形式をとる大乗経典とは異なり、別名を大日如来という大毘盧遮那仏(Mahāvairocana)が説法する形をとる密教経典が編纂されていった。『大日経』、『初会金剛頂経』(Sarvatathāgatatattvasaṃgraha)やその註釈書が成立すると、多様な仏尊を擁する密教の世界観を示す曼荼羅が誕生し、一切如来からあらゆる諸尊が生み出されるという形で、密教における仏尊の階層化・体系化が進んでいった。 中期密教は僧侶向けに複雑化した仏教体系となった一方で、却ってインドの大衆層への普及・浸透ができず、日常祭祀や民間信仰に重点を置いた大衆重視のヒンドゥー教の隆盛・拡大という潮流を結果的には変えられなかった。そのため、インドでのヒンドゥー教の隆盛に対抗するため、シヴァを倒す降三世明王やガネーシャを踏むマハーカーラ(大黒天)をはじめとして、仏道修行の保護と怨敵降伏を祈願する憤怒尊や護法尊が登場した。
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