意味と位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 04:35 UTC 版)
日本では真言宗の東密や天台宗での台密を指すが、インドやチベットにおける同種の仏教思想も含めて総称することもある。仏教学は密教を「後期大乗」に含めるが、中には後期大乗と密教とを区別しようとする考え方もある。 また、インドにおける大乗仏教から密教への展開過程に関する研究のアプローチについて、真言宗の僧侶・仏教学者である松長有慶は以下の三つに整理している: 大乗仏教と密教をそれぞれ異質なものとして捉える:哲学的側面と実践的側面に分別し、大乗仏教における中観・唯識思想など理論が高度化していく一方で、欠落していた実践の導入として密教を位置づける方法(日本の真言宗など、後述)。 大乗仏教と密教とを同一基盤において捉える:龍樹や提婆が中観思想から後期密教思想に到達したというように、哲学的思索の進展の帰結として密教が登場したと捉える方法(チベット仏教など) 大乗仏教から密教への展開を哲学的な思索の進展に求めず、宗教あるいは純粋に信仰の領域として処理する方法(シャシブサン・ダスグプタ(英語版)、インド・西欧の仏教学者など)。 松長はこのうち3番目の捉え方をもっとも妥当としつつも、「密教」のなかにインド中期密教がほとんど含まれずに議論が行われていることを指摘している。 真言宗においては顕教と対比されるところの教えであるとされる。インド仏教の顕教と密教を継承したチベット仏教においても、大乗を顕教と真言密教とに分ける形で顕密の教えが説かれている。密教の他の用語としては金剛乗(vajrayāna、ヴァジュラヤーナ)、真言乗(mantrayāna、マントラヤーナ)などとも称される。 金剛乗という用語 金剛という言葉はすでに部派仏教時代の経論からみられ、部派仏典の論蔵(アビダルマ)の時代から、菩提樹下に於ける釈迦の(降魔)成道は、金剛(宝)座でなされたとする記述がみられるが、金剛乗の語が出現するのは密教経典からである。金剛乗の語は、金剛頂経系統のインド密教を、声聞乗・大乗と対比して、第三の最高の教えと見る立場からの名称であるが、大日経系統も含めた密教の総称として用いられることもあり、欧米でも文献中に仏教用語として登場する。 英語における訳語 英語では、欧米の学者によって密教(秘密仏教)にしばしばEsoterismの訳語があてられる。Esoterismとされる理由としては、大別して二通りの解釈が与えられている。第一に密教は、入門儀礼(灌頂)を通過した有資格者以外に示されない教えであること、第二には、言語では表現できない仏の悟りを説いたものだからということが挙げられている。
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