1973年製造車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)
「国鉄103系電車」の記事における「1973年製造車」の解説
前述の試作冷房車の試験結果を踏まえ、1次改良車を基本に当初から冷房装置を標準搭載して製造されたグループで、モハ103-331 - 413・モハ102-487 - 569・クハ103-213 - 268・サハ103-324 - 359の計258両が該当する。ただし、京浜東北線に配置されたモハ103-373 - 382・モハ102-529 - 538は、非冷房車編成に組み込まれることから非冷房車として製造された(後にAU75系冷房装置にて冷房改造)。 冷房装置はモハ103-410、モハ102-566、クハ103-266、サハ103-357まではAU75A形、以降はロールフィルター内蔵のAU75B形が採用された。 冷房用の電動発電機 (MG) は、試作冷房車と異なり制御・補助回路との兼用とした出力160 kVAのMH135-DM92がモハ102形に搭載され、自車を含め4両までの給電に対応した。これは本系列のMT比が最大でも1:1で、編成中4両に1両は必ずモハ102形が含まれることを考慮したものである。これにあわせて、車体2・4位側にも、電動発電機用冷却風取入口を設置した。 居住性の改善目的で、座席の奥行きが550 mmに拡大された。また、蛍光灯の出入口部への増設が実施された。 後位側面に電動行先表示器が設置され、前面の行先表示器も電動式となった。前面幕は位置若干変更が実施され、側面幕下の側窓は下段上昇・上段下降式に変更された。クハ103形の前面通風口は冷房化により再び廃止された。 行先表示器指令器と冷房制御盤を設置したことにより、運転室背後の客室仕切中央の窓は廃止された。客室内3位側妻窓上部には配電盤を設置し、その下の妻窓上段が固定化された。 中央快速線の高尾駅など、終着駅での折返しによる長時間停車による冷暖房効果を損失させないため半閉回路を新設し、各車両の両端2か所の側引戸を閉、中央2か所を開とする事が可能となった。しかし、営業運転での実際の使用例はなかったとされる。 京浜東北線に投入された非冷房車は、MGも従来の20 kVAのものであり、側面の行先表示器も省略された。 当初、山手線・中央線快速(主に特別快速で運用された)および大阪環状線に投入されたが、後述のATC化と関連して関東配属の先頭車の多くは1974年(昭和49年)に新製の中間車と組んで京阪神緩行線(配属は高槻電車区)に転属した。「低運転台+新造時からシールドビーム」形態のクハ103形は関東地区では極めて少数派となった。中央線快速残存車は、後に中央・総武緩行線に転用されて津田沼電車区に転属。さらに一部の車両は後述のリニューアル工事を受け、仙石線(陸前原ノ町→宮城野電車区)に転属した。
※この「1973年製造車」の解説は、「国鉄103系電車」の解説の一部です。
「1973年製造車」を含む「国鉄103系電車」の記事については、「国鉄103系電車」の概要を参照ください。
- 1973年製造車のページへのリンク