歌川貞升
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歌川 貞升(うたがわ さだます、生没年不詳)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。
注釈
- ^ 五蝶亭貞升名義はコレクターが貼り混ぜたスクラップブック『役者似顔』に本屋清七(通称は本清)版の役者絵が揃う。5:「大星由良之助/中村歌右衛門」、7:「斧定九郎/中村歌右衛門」、8:「早ノ勘平/中村歌右衛門」、11:「源牛若丸/中村芝翫」「弁慶/中村歌右衛門」(2枚続)、49:「実川延三郎」、51:「伊達競浪花男/見立片岡我童」、52:「女伊達お橋/嵐徳三郎」。同じ五蝶亭名義で丙喜版は12:「皆鶴姫/中村富十郎」「鬼一法眼/中村玉助」「奴智恵内/三枡源之助」「牛若丸/中村歌六」(4枚続)があり、その他、印のないものは3点(25:「中村富十郎」、47:『俳優当世鏡』「藤屋伊左衛門/片岡我童」、48:『俳優当世かゞ美』「扇屋夕きり/中村富十郎」)[2]。
- ^ 一樹園貞升名義は、2:「犬山道節」[2]。
- ^ 『役者似顔』、西尾市岩瀬文庫所蔵。全2帖のうち1帖目より2帖目の巻頭2図まで上方絵で、その14点は貞丈作である[3]。
- ^ 『落噺千里藪』[4] の口絵は彩色刷で、校閲した生瀬を含む当時の噺家の肖像を1枚に組み合わせて描いている。似顔絵を載せた内訳は、西尾市岩瀬文庫[4] によると桂文次(初代)とその門下の桂文吉、桂里壽(先里寿)、桂北桂舎、先代の吾竹、勢楽、馬伊助、桜川春好、花枝房円馬の実子の小円馬(もしくは三遊亭小圓馬)、吾竹(2代目)、月亭生瀬、花枝房円馬。また同書には落語の歴史をかいつまんで紹介した「噺のはなし」を載せた[4]。
- ^ 『絵本千里藪』ともいう。挿絵の構成は多色刷りの口絵のほか墨1色の見開の図3点と1ページ(半丁)1点を基本に、第2巻、第3巻、第4巻は1ページ挿絵を2点ずつ配した。花枝房円馬の名は立川円馬として出版社の文宝堂と並んで記載。板元は上方(大坂)の河内屋茂兵衞(心斎橋筋博労町角)、販売者は河内屋藤兵衞(心斎橋筋本町角)と河内屋藤四郎(京都・寺町通佛光寺)のほか、江戸では須原屋茂兵衞(日本橋通り一丁目)、山城屋佐兵衞(同二丁目)、須原屋新兵衞(同左)、山城屋政吉(南天満町一丁目)、英文藏(下家御成道)、丁子屋平兵衞(大伝馬町二丁目)、芝神明前の岡田屋嘉七と同じく和泉屋吉兵衞がある。序文を梅里亭其楽(浪華江南の隠居)が寄せる[4]。
出典
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