風信帖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 08:36 UTC 版)
風信帖(ふうしんじょう)は、空海が最澄に宛てた尺牘(せきとく)3通の総称である。国宝に指定されており、指定名称は弘法大師筆尺牘三通(風信帖)(こうぼうだいしひつ せきとく さんつう)。
注釈
- ^ a b 東嶺(とうれい)とは、比叡山の異称[6]。
- ^ a b 金蘭(きんらん)とは、易経からの文で、親しい契りの意であり、最澄のことを「我金蘭」と形容しているところから両者の最も親密なころと思われる。
- ^ a b この止觀は、天台宗をさす。
- ^ a b c 還信(かんじん)とは、使者の意味である(還人も同じ)。使者が手紙を届け返書を受け取って還るのが当時の慣習であった[4]。
- ^ 止觀(しかん)とは、『摩訶止観』のこと。
- ^ 室山(しつさん)とは、室生山の堅慧と推定される。
- ^ 量商は、商量(しょうりょう、話し合ってよく考えること)の誤りである[8]。
- ^ 法前(ほうぜん)は、僧侶に対する敬語。
- ^ 謹空(きんくう)とは、左に余白を空け、貴答を待つという敬意の表現。脇付。
- ^ 枉書(おうしょ)は、「わざわざお寄せ下さった手紙」という意味になると考えられる。
- ^ 褁(か)は、包みの意で、「裹」の異体字。
- ^ 遍照(へんじょう)とは、空海の法号。
- ^ 左衛士の督(さえいしのかみ)とは、藤原冬嗣と考えられる。
- ^ 「香」を人名(不詳)の一部とする解釈と、御香とする解釈がある。
- ^ 一期とは、この場合、法要の一区切りで7日間を要する儀式のこと。
- ^ 拂晨(ふつしん)とは、夜明けの意。
- ^ 大徳(だいとく)とは、高僧の意。
- ^ 渇仰(かつごう)とは、のどが渇いた者が水を求めるがごとく、深く慕うこと。
- ^ 仁王経(にんのうきょう)とは、仏教による国家鎮護を説いた経で、最澄より借覧を請われていた経典と思われる。
- ^ 講師とは、国分寺にて経論を講じ、僧を化導する僧官である。
- ^ 沙門(しゃもん)とは、僧のこと。
- ^ 御遺告(ごゆいごう)とは、空海の生前の談話を彼の死後、弟子が文章にしたものである[29]。
- ^ 空海は弘仁2年(811年)から3年(812年)まで乙訓寺に在住している[31]。
出典
- ^ a b c d e 「空海の風信帖」P.12
- ^ a b c d 木村卜堂 PP..18 - 20
- ^ a b 「書道辞典」(西川)P.109
- ^ 「空海の風信帖」P.27
- ^ a b c d 鈴木翠軒 PP..103 - 105
- ^ a b 「書道辞典」(飯島) P.185
- ^ 魚住和晃 PP..128-130
- ^ 鈴木翠軒 P.104
- ^ 「空海の風信帖」PP..22 - 24
- ^ a b c 宮坂宥勝 P.17
- ^ a b 「空海の風信帖」PP..26 - 27
- ^ a b c 人名(不詳)。
- ^ a b c 「空海の風信帖」PP..28 - 31
- ^ 村上三島 P.123
- ^ 「書道辞典」(西川)P.39
- ^ a b 森岡隆 P.28
- ^ a b c d e f 村上翠亭 PP..10 - 16
- ^ 岡本光平 P.33
- ^ a b 多賀宗隼 P.11
- ^ a b 宮坂宥勝 P.14
- ^ 江守 P.58
- ^ 鈴木翠軒 P.24
- ^ 鈴木翠軒 PP..108 - 109
- ^ 「書道辞典」(西川)P.108
- ^ 森 PP..212-214
- ^ 小松茂美 P.298
- ^ a b c 山口謠司 PP..74 - 75
- ^ a b c 宮坂宥勝 P.15
- ^ 司馬遼太郎 P.260
- ^ 司馬遼太郎 PP..250 - 265
- ^ 「空海の風信帖」P.24
- ^ 江守 P.60
- ^ a b c d 宮坂宥勝 P.20
- ^ 宮坂宥勝 P.19
- ^ 宮坂宥勝 P.18
- ^ a b 原子朗 P.44
- ^ 江守 P.66
- ^ 宮坂宥勝 P.21
風信帖(1通目)
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1通目の狭義の『風信帖』である。書風は王羲之の書法に則した謹厳なもので、それは「風」や「恵」その他が『蘭亭序』と酷似していることでも立証できる。特に「恵」の最後の点を右側に大きく離し、収筆を上方にはね上げる運筆は王羲之の書法の特徴の一つで、この収筆のはね上げにより、運筆のスピード感と切れ味を字形全体の印象として感じさせる効果をもたらす。王羲之書法に傾倒する人の筆跡にはこの運筆が見られ、米芾の『蜀素帖』の中の「穂」や「盡」にも認められる。 風信雲書自天翔臨披之閲之如掲雲霧兼恵止觀妙門頂戴供養不知攸厝已冷伏惟法體何如空海推常擬隨命躋攀彼嶺限以少願不能東西今思与我金蘭及室山集會一處量商仏法大事因縁共建法幢報仏恩徳望不憚煩勞蹔降赴此院此所々望々忩々不具釋空海状上 九月十一日東嶺金蘭法前 謹空 — 『風信帖』 文面は、冒頭の挨拶、『摩訶止観』のお礼、比叡山には行けない旨を告げたあとに、「あなた(最澄)と堅慧(推定)と私の3人が集まって、仏教の根本問題を語り合い仏教活動を盛んにして仏恩に報いたい。どうか労をいとわず、この院(乙訓寺と推定)まで降りて来て下さい。ぜひぜひお願いする。」という趣旨の内容である。
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