土佐打刃物
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土佐打刃物 |
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とさうちはもの |
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金工品 |
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斧、鳶(とび)、鋸、鎌、包丁、鉈(なた)、柄鎌(えがま)、鍬(くわ) |
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天正18年(1590年)土佐一国を総地検した、長宗我部地検帳に、399軒の鍛冶屋がいたことが記されています。土佐打刃物の本格的な隆盛は、江戸時代初期土佐藩による、元和改革(1621年)から始まります。藩の森林資源の確保及び新田開発の振興策の遂行により農・林業用刃物の需要が拡大し土佐打刃物は生産量・品質ともに格段に向上しました。土佐打刃物は多少の機械化は取り入れたものの、江戸時代の技術と伝統は、平成の世まで受け継がれています。 |
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高知県 |
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平成10年5月6日 |
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土佐打刃物は、全国各地から形状や重さの違う刃物の注文を多く受けていたため、原寸と形を書いた注文書だけで製造ができます。これを称して「土佐の自由鍛造」と呼ばれています。 この事は土佐の製造品種が多いことからも想像できますが、また少量多品種製造が可能なので、現在まで土佐打刃物が作り続けられています。 |
土佐打刃物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/03 17:47 UTC 版)
土佐打刃物(とさ うちはもの)とは、日本の高知県(旧・土佐国)伝統の打刃物であり、現代では高知県内にて決められた製法で作られる打刃物を指す。
概要
豊臣政権下で編まれた土佐一国の総検地帳である『長宗我部地検帳』に、天正18年(1590年)の時点ですでに鍛冶屋の数399軒とあり、大いに隆盛していたことが分かる。すなわち、少なくとも桃山時代(安土桃山時代後半)まで遡ることのできる伝統工芸品である。
現代では主として「高知県土佐刃物連合協同組合」に加盟する組合員や加盟団体などが、包丁・鎌・鉈・鋸・鍬などを製作販売している[1]。1998年(平成10年)5月6日に財団法人伝統的工芸品産業振興協会によって経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定された[1]。主な産地は、高知県の香美市、南国市、須崎市、土佐市、および、いの町南部(旧・伊野町)である。高知県で国指定の伝統工芸品はこの土佐打刃物といの町南部(旧・伊野町)の土佐和紙の2つのみである。
脚注
- ^ a b 土佐打刃物(全国伝統品工芸センター)(財団法人 伝統的工芸品産業振興協会)
関連項目
- 打刃物
- 伝統工芸品
外部リンク
- 土佐打刃物のページへのリンク