橘純一とは? わかりやすく解説

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橘純一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/03 01:41 UTC 版)

橘 純一(たちばな じゅんいち、1884年(明治17年)2月25日 - 1954年(昭和29年)1月19日)は、国文学者

経歴

東京市京橋区木挽町(現在の東京都中央区銀座)生まれ。児島喜三郎の五男。橘守部直系の家へ養子に入る。第二高等学校、1909年東京帝国大学文学部国文科卒。同助手、13年府立第五中学校教諭、21年『橘守部全集』を編集刊行。25年退職、各学校講師をしながら著述生活。36年国語解釈学会を創立、雑誌『国語解釈』を創刊。41年陸軍士官学校教官、50年跡見学園短期大学教授。没後、二松学舎大学名誉教授の称号を追贈。[1]

1938年、小学校教科書に掲載された『源氏物語』について、不敬の書であるから削除すべしと主張した。[2]

著書

  • 『豊受大神御神霊考』四海書房、1930
  • 『上代国語国文学』六文館、1932
  • 『大鏡新講』三省堂 新撰国文叢書、1933
  • 『中等学校国語教材解釈』慶文堂書店、1941

編纂

  • 『橘守部全集 首巻』全12巻、国書刊行会、1920-22、のち東京美術
  • 『高等学校専門学校入学程度受験生の作文』平田義雄共編 神田書房、1925
  • 『要註国文定本総聚、17、土佐日記』広文堂、1929
  • 『つれづれ草 新註』瑞穂書院、1934
  • 『大鏡通釈 插註』瑞穂書院、1934
  • 『抄本平家物語・古今著聞集・神皇正統記』加藤光治共編 右文書院、1936
  • 『抄本方丈記増鏡奥の細道』加藤光治共編 右文書院、1936
  • 橘守部『稜威言別』校訂 冨山房、1941
  • 日本古典全書 徒然草』校註 朝日新聞社、1947
  • 『大鏡通釈 文法詳説要語精解』慶野正次共著 武蔵野書院、1958、

参考

  • コトバンク
  • 関根俊雄編「橘純一教授略年譜・主要著作目録」『国語と國文學』1954年4月

  1. ^ 「コトバンク」の記述では「東洋大、日本女子大、立正大などの教授を歴任」とあるが、「略年譜」ではこれらの大学では講師をしたのみである。
  2. ^ 有働裕「橘純一による『源氏物語』批判」「愛知教育大学教科教育センター研究報告」1997[1] 有働『『源氏物語』と戦争』インパクト出版会、2002



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