園女
そのめ
(『俳諧百一集』より)
女流俳人。「一有妻」とも表記される。一有は夫で、渭川<いせん>という俳号のディレッタントであった。伊勢松坂の神官秦師貞の娘。美女で教養人の誉れ高い。後に大坂に住み、元禄7年秋に芭蕉は大坂で「白菊の目に立て見る塵もなし」と詠んだ。園女は夫の死後江戸に居を移し、剃髪して智鏡尼と称した。享保11年4月20日死去。享年63歳と伝えられる。『菊の塵』編者。芭蕉は、元禄元年春、『笈の小文』の旅の途次、伊勢に立ち寄り、園女の夫一有<いちゆう>と会い、その折、「暖簾の奥ものふかし北の梅」と詠んで園女を賞賛している。なお、彼女の夫・斯波一有は伊勢の医師で俳人。
園女の代表作
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春の野に心ある人の素貌哉(『あら野』)
斯波園女
園女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 03:18 UTC 版)
北条内記の元妻。伴源之丞と駈け落ちし、諸大名の妾となっては逃亡することを繰り返していた。内記から逃れるため、月子に「悲哀の顔」に造顔してもらう。
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