明徳の和約とは? わかりやすく解説

明徳の和約

(南北朝合体 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 02:49 UTC 版)

明徳の和約(めいとくのわやく)は、日本南北朝時代の内乱の講和条約で、明徳3年/元中9年10月27日ユリウス暦1392年11月12日)に南朝北朝室町幕府)との間で、和議と皇位継承について締結された約定。


注釈

  1. ^ 軍記物『足利治乱記』には後亀山天皇と後小松天皇が会見して神器の引き渡しが行われたように記されているが、明治時代三浦周行が『日本史の研究』において、『南山御出次第』『御神楽雑記』など、当日の次第を記した書物が全て神器の還御の手続で行われていることを指摘して、両天皇の会見を根拠のない俗説であると結論付けている。

参照

  1. ^ a b 三浦 1922.
  2. ^ 村田正志 『村田正志著作集 第1巻増補南北朝史論』 思文閣出版、1983年 P164-192(ただし、初稿は1946年)
  3. ^ 森 2013, 第1章第2節.
  4. ^ 後南朝史編纂会 1956, p. 52.


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