明徳期におきた出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 07:45 UTC 版)
元年(1390年) 3月、将軍足利義満が山名氏清、山名満幸に命じて但馬国で一族の山名時熙・山名氏幸らを討たせる。 3月、土岐康行の乱、土岐氏の乱 9月、九州で今川貞世(了俊)が肥後国宇土、河尻で南朝の良成親王を奉じた菊池武朝らを撃破する。 2年(1391年) 4月、細川頼元が管領に任命される。頼元の兄で前管領の細川頼之が上洛する。 9月、将軍義満が春日大社や東大寺、興福寺などの寺社を参詣する。 11月、義満が山名満幸らを京都から追放し、満幸は叔父の山名氏清らと反乱を計画する。 12月、山名満幸、山名氏清らが挙兵する明徳の乱が起り、氏清らが敗北して戦死する。 陸奥国、出羽国の2カ国が鎌倉府の管轄となる。 3年(1392年) 1月、明徳の乱の戦後処理で山名氏の守護国を分配する。 2月、大内義弘を仲介とした南朝との講和が行われる。 7月、朝鮮で李成桂が王位に就き、李氏朝鮮が成立。 10月、後亀山天皇が譲位し、北朝が三種の神器を接収して南北朝合一が成立する(明徳の和約)。 4年(1393年) 6月、斯波義将が管領に就任する。
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