明応の井田野合戦とは? わかりやすく解説

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明応の井田野合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 07:49 UTC 版)

岩津松平家」の記事における「明応の井田野合戦」の解説

明応2年1493年10月13日には三河国加茂郡衣(挙母市にあった鎌倉幕府以来名族中条氏が、その被官衆ともいう碧海郡上野豊田市上郷町)の阿部氏加茂郡寺部豊田市寺部町)の鈴木氏、同郡伊保豊田市保見町)の三宅氏、同郡八草豊田市八草町)の那須氏らを糾合して松平氏攻めた。この時、信光嫡男の親長と次男の乗元は在京であったため、安城家の親忠が松平全軍指揮したとされる。この戦いは、矢作川の上の瀬を渡り井田野(岡崎市)に陣を取った中条4000名を安城の親忠勢2000名が迎撃圧倒したのを、更に井口田から岩津勢が襲撃したため、中条勢は崩れて敗走した明応井田野合戦)。平野によれば岩津勢のこの加勢挟撃となったため中条勢は敗走した推定する。この戦いの結果安城の親忠の武名大い上がり三河物語など江戸期以降諸書松平氏惣領立場になったとするが実際不在の親長等血縁上の代理であった親忠が、この戦い勝利惣領名代になったものではないかとの見方もある。

※この「明応の井田野合戦」の解説は、「岩津松平家」の解説の一部です。
「明応の井田野合戦」を含む「岩津松平家」の記事については、「岩津松平家」の概要を参照ください。

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