追号天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:03 UTC 版)
後高倉院 - 守貞親王。86代後堀河天皇の父。承久の乱の結果、緊急に皇嗣が回ってきたが親王は既に出家していたため即位できず、子の後堀河天皇が即位する。同時に当人は天皇の父として治天の君となり、皇位を経ずして太上法皇(出家していたため「法皇」)となり院政を執る。崩御後に院号(後高倉院)を贈られた。皇統譜では「後高倉天皇」。 後亀山院 - 第99代後亀山天皇。明徳の和約の2年後、太上天皇の尊号を贈られる。北朝方の強い反発により、朝廷では異例の16日間にわたる議論が続き、最終的には足利義満の意向により実現したが、「不登極帝」(正式には天皇に即位していない者)への尊号授与であることが強調された。明治44年(1911年)に南朝が正統とされ、歴代天皇として公認されるようになった。 後崇光院 - 伏見宮貞成親王。102代後花園天皇の父。上記の後高倉院と後亀山院の事例を先例として、生前に太上天皇尊号宣下、院号「後崇光院」。皇統譜では「後崇光天皇」。
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