奴隷制擁護開拓者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/26 20:41 UTC 版)
カンザス・ネブラスカ法が成立した数日後、隣接するミズーリ州の何百人もの住人が準州内に入ってきて、土地の区画を選別し、この地域すべてを奴隷制擁護地域とする意図で集会を開いて、志を同じくする仲間の団結を図った。 1854年6月10日には、ミズーリ州の住人がフォート・レブンワースの西3マイル (5 km)の交易基地であるソルトクリーク・バレーで集会を開き、「無断入植者のクレーム協会」が結成された。集まった者達はカンザスを奴隷州にすることに賛成し、ミズーリ州住人の半数が必要ならば、マスケット銃を手にして移民してくるとした。これら移民によれば、奴隷制度廃止論者がカンザス準州に入って来ない方がいいだろうが、自由州になると予測されるネブラスカ準州に到着するまでにミズーリ川までを抑えておくとしていた。北部や東部の自由州から最初の移民が到着する前に、ミズーリ川沿いのあらゆるめぼしい場所は、ミズーリ州西部からの住人によって、優先権法を楯に抑えられた。
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