奴隷制度廃止運動と女権運動との思想の違い
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「エリザベス・キャディ・スタントン」の記事における「奴隷制度廃止運動と女権運動との思想の違い」の解説
The prejudice against color, of which we hear so much, is no stronger than that against sex. It is produced by the same cause, and manifested very much in the same way. —Elizabeth Cady Stanton 南北戦争後、スタントンとアンソニーは奴隷制度廃止運動から離れ、アメリカ合衆国憲法の修正第14条と修正第15条によりアフリカ系アメリカ人男性に投票権を与えるという批准に強く反対した。アフリカ系アメリカ人男性はすでに修正第13条成立により、選挙権を除き白人男性市民が享受する法的保護を受けており、国内男性の権利擁護をこれ以上拡大すると、女性の選挙権を拒絶しようとする有権者数が増えるだけであると信じたスタントンとアンソニーはふたりとも、アフリカ系アメリカ人ならびに女性の両方の権利獲得に向けて活動してきたはずの奴隷制度廃止論者たちに怒りを募らせる。憲法改訂の文言を変更し、女性を含めるように求めることを拒否されたのだ。 スタントンの反論は結局、人種差別主義的な主張を帯びる。女性選挙権活動家を代表して述べるうえで「富と教育および洗練」に恵まれた女性有権者が求められると主張し、かつての解放奴隷および移民がアメリカの政治システムに及ぼす可能性すなわち「奴隷制度と無知および劣化」の悪影響を相殺するには必要であると主張していく「私たちを差し置き〈サンボ〉が先に (公民権の)王国に足を踏み入れるのを傍観するか否かという深刻な問題」と言い放った。一部の研究者は所有財産と学歴に言及し黒人男性参政権と普通選挙反対を望み、女性がアフリカ系アメリカ人男性を打ち負かすというスタントンの主張は「学歴のある参政権」と相まって、公民権運動を断片化したと主張し、修正憲法第15条の通過をきっかけに識字能力要件 (英語) が成立する一端を担ったと論じている。 スタントンの立場は自身と多くの公民権指導者とのズレを引き起こし、特にフレデリック・ダグラスは白人女性のうち少なくとも父親や夫、兄弟とのつながりで力を得た人々はすでに投票権を得たのと同様だと信じており、大きな亀裂が走った。ダグラスによると奴隷として扱われ、ようやく解放されたアフリカ系アメリカ人男性に対して女性よりさきに投票権を与えたのは、彼らにはそのような女性が間接的に得るエンパワーメントを欠いていたからであり、アフリカ系アメリカ人の女性のエンパワーメントも白人女性の場合と同様に、アフリカ系アメリカ人男性の投票権獲得に付随すると考えた。したがってダグラスによると、女性一般の参政権は黒人男性参政権よりも後に考慮すべきとされた。 ダグラスに異議を唱えたスタントンはときに人種差別的な言葉を使いながらも、黒人と白人、男性と女性が力を得る投票権分配が実現できると固く信じた。黒人女性を代弁し、元奴隷だったアフリカ系アメリカ人の女性に投票を許さないと、奴隷、性別、人種の「男性には無縁の三重苦」に縛り付けることになると非難するアンソニー、オリンピア・ブラウンばかりか、フランシス・ゲージという、女性の参政権擁護者で初めて元奴隷の女性の投票権を擁護した人物もスタントンの信条を支持している。1860年の著書『The Slave's Appeal』でスタントンはフェミニズムに限定せず奴隷制度の問題と闘争も取り上げる。メッセージを最もうまく伝えるには自らは実際はアフリカ系アメリカ人でなくても主人公を黒人女性に設定し、その視点から参政権を白人女性に限定すべきではないという考えを述べた。 共和党議員で熱烈な奴隷制廃止論者のタデウス・スティーブンス (ペンシルベニア州選出)は、投票権は普遍的であるべきという主張に同意した。1866年、スタントン、アンソニーおよび数名の参政権論者は普通選挙権請願書を起草し、性別や人種と無関係に投票権を与えることを要求。スティーブンスは請願書を議会で紹介したのだが、こういう努力にもかかわらず、第14修正条項は1868年に原案どおりで可決される。
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