OPBF東洋太平洋フライ級王者
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「申喜燮」の記事における「OPBF東洋太平洋フライ級王者」の解説
1983年1月29日、OPBF東洋太平洋フライ級王座を持つ楊弘洙を相手に挑戦者として対戦し、9回KO勝ちを収めOPBF王座獲得に成功した。 その後は2度の防衛を重ねることとなり、1983年6月5日、対アレン・マキトキ戦で初防衛(8回KO)、1983年7月17日には (WBA)世界フライ級王座を賭けて当時の王者サントス・ラシアルと対戦したが、これは初回1分19秒TKO負けを喫しWBA王座獲得には失敗した。 1983年11月20日、チャラオ・ムアンスリンとの対戦で6回TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功したものの、OPBF王座を剥奪され、この時点でノンタイトルとなる。 続く1984年7月17日、レネ・ブサヨンとOPBF東洋太平洋フライ級王座決定戦を争い、3回TKO勝ちを収め8か月ぶり2回目のOPBF王座獲得に成功した。 以降再び王座防衛を重ね、1984年12月8日、対ノンベルト・ナパタヤ戦で初防衛(6回KO)、1985年7月13日、対サクディサムス・シンサマン戦で防衛2(5回TKO)、1985年12月15日、初防衛を争ったノンベルト・ナパタヤと1年ぶりの再戦で防衛3(3回KO)、1986年3月15日、対ティティング・ディグノス戦防衛4(4回TKO)となる。この後、IBF世界フライ級王座に挑むためOPBF東洋太平洋王座を返上しノンタイトルとなった。
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