OPEC襲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:42 UTC 版)
「カルロス (テロリスト)」の記事における「OPEC襲撃」の解説
12月には西ドイツの極左過激派組織「革命細胞」(RZ)及びPFLP-EOのメンバーらと共に、世界中にその名が知れ渡ったOPEC本部襲撃事件を引き起こす。ウィーンのOPEC本部では、石油相会議が開かれていた。この時現れたカルロスら6人は警備の警官を銃撃後、各国代表ら総勢70名を人質にとった。オーストリア当局を相手に交渉を開始し相手側は全ての要求を受け入れ、国営ラジオも声明文を放送した。 この事件における真の目的は、ハダドを援助していたイラクの支援の下、サウジアラビアのヤマーニー石油鉱物資源相とイラクと敵対していたイランのアモウゼガル石油相の暗殺にあり、リビアのカッザーフィー(カダフィ)政権もこの事件を支援していたとする説がある。 事件後、用意されていた飛行機でアルジェリアへ逃走したが、到着したところでアルジェリア当局によりほとんどの身代金を没収された。その後リビアのトリポリを経由してブダペストに着いたが、人質を殺さずに解放してしまったことやカルロスが身代金の一部を着服していたことからハダドから叱責され、PFLP-EOを追放された。
※この「OPEC襲撃」の解説は、「カルロス (テロリスト)」の解説の一部です。
「OPEC襲撃」を含む「カルロス (テロリスト)」の記事については、「カルロス (テロリスト)」の概要を参照ください。
- OPEC襲撃のページへのリンク