プロデビュー後〜日本王座獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:47 UTC 版)
「内藤大助」の記事における「プロデビュー後〜日本王座獲得」の解説
1996年10月11日にプロデビュー戦。1RKO勝ちで飾ると、1998年12月19日の全日本フライ級新人王決定戦で福山登(大阪帝拳)に1RKO勝ちし、9勝1引き分けの戦績で新人王を獲得した。 2001年7月16日、坂田健史(協栄)の持つ日本フライ級王座に挑戦するも、引き分けで王座獲得はならなかった(大串事件も参照)。 2002年4月19日、タイでポンサックレック・シンワンチャー(タイ)の持つWBC世界フライ級王座に挑戦し、世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録となる1R34秒KO負けを喫した(当該節参照)。しかし、復帰戦でKO勝ち。その後も菊井徹平(花形)を下すなど、順調に勝ち進んだ。 2004年6月6日、日本フライ級王者の中野博(畑中)に挑戦。中野から2度のダウンを奪うなど一方的に攻め続け、6Rに偶然のバッティングによる負傷判定勝ちを収め、日本王座を獲得した。10月11日には小嶋武幸(横浜さくら)を相手に初防衛戦を行い、日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒でKO勝ちを収めた。 2005年10月10日、WBC世界フライ級王者・ポンサクレックに再挑戦するも、7R負傷判定で敗れた(当該節参照)。 2006年6月27日、OPBF東洋太平洋フライ級王者の小松則幸(エディタウンゼント)と、史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを行い、小松を6RTKOで破り、日本・東洋太平洋王座の2冠となった。12月10日には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い、判定で初防衛している。 2007年、自身の負傷と、日本・東洋王座の防衛戦の兼用が困難になったことなどを理由に、両王座を返上した。
※この「プロデビュー後〜日本王座獲得」の解説は、「内藤大助」の解説の一部です。
「プロデビュー後〜日本王座獲得」を含む「内藤大助」の記事については、「内藤大助」の概要を参照ください。
- プロデビュー後〜日本王座獲得のページへのリンク