プロデビュー期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:14 UTC 版)
「ディエゴ・マラドーナ」の記事における「プロデビュー期」の解説
13歳の時に学校を辞めてサッカーに専念することとなった。1974年にAAアルヘンティノス・ジュニアーズのトップチーム昇格を果たし、15歳の誕生日にはクラブから家族全員が住めるほどの大きさのアパートが提供された。在籍時にはエル・ピベ・デ・オロ(El Pibe de Oro、ゴールデンボーイ)という愛称を授かった。 1976年10月20日、アルゼンチン・リーグ史上最年少の15歳11か月でタジェレス・デ・コルドバ戦にて初出場。この試合は1-0でタジェレスにリードを許している場面での後半に途中出場し、交代してすぐにゲーム全体の流れを変える動きを見せ、タジェレスの選手から執拗にマークを受けた。試合はこのまま終了して敗れたものの、地元の新聞からも試合での動きを高く評価された。同年11月14日のCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ戦でプロ初ゴールを決めた。 プリメーラ・ディビシオン(国内1部リーグ)のナショナルリーグにおいて翌1977年は49試合に出場して19得点、1978年は35試合に出場して26点を挙げ、1979年に26得点、1980年に43得点を挙げて得点王を獲得。1979〜1981年にアルゼンチン年間最優秀選手賞、1979年〜1980年に南米年間最優秀選手賞を受賞した。アルヘンティノス時代は166試合に出場して116ゴールを挙げた。
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