本田秀伸とは? わかりやすく解説

本田秀伸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/09 14:36 UTC 版)

本田 秀伸
基本情報
本名 本田 秀伸
通称 ディフェンスマスター
階級 ライトフライ級 - スーパーフライ級
国籍 日本
誕生日 (1975-09-27) 1975年9月27日(50歳)
出身地 宮崎県西諸県郡高原町
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 39
勝ち 32
KO勝ち 14
敗け 7
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本田 秀伸(ほんだ ひでのぶ、1975年9月27日 - )は、日本の元プロボクサー。第25代日本ライトフライ級王者。宮崎県西諸県郡高原町出身。日章学園高等学校卒業。

来歴

中学時代は少林寺空手で初段を取得。日章学園ではボクシング部主将を務め、高校総体フライ級で10位の成績を残し卒業後、大阪のグリーンツダボクシングジムへ移籍した。

1994年9月19日、大阪府立体育会館でのジュニアバンタム級(現在のスーパーフライ級)4回戦でグリーンツダジムからプロデビュー。3RKO勝利を収めた。

1996年12月3日、プロ10戦目で日本ジュニアフライ級(現在のライトフライ級)王座を獲得し、1999年1月までに6度の防衛を果たす(後に返上)。ジムの先輩井岡弘樹山口圭司や、東京に出稽古した際の帝拳ジム八尋史朗らとのスパーリングで実力や技術を蓄えていった。

王座返上後、OPBF東洋太平洋王者やタイ王者等との試合を精力的にこなし、WBAWBC共に、世界ランキングを2位まで上昇させる。この時期と前後して、紙一重で相手のパンチを見切り、相手のパンチを殆ど食らわない本田のボクシングスタイルを象徴するニックネーム「ディフェンスマスター」が定着した。

2002年11月26日、ポンサクレック・クラティンデーンジムの持つWBC世界フライ級王座に挑戦。ポンサクレックの強打を殆ど回避するという高度なディフェンス技術を見せるも、手数の少なさが災いして12R判定負け。

2003年10月4日、両国国技館にてデビュー以来23連続KO(ベネズエラ連続KO記録)中のWBA世界スーパーフライ級王者アレクサンデル・ムニョスの世界王座に挑戦した時も12R判定で敗れたが、ムニョスの強打を空転させ、ムニョスの連続KO記録をストップするなど、高いディフェンス技術を見せた。

2004年8月7日、プロ5戦目の新鋭名城信男と対戦。この試合は本田にとって3度目の世界挑戦の前哨戦となるはずであったが、よもやの10回判定負け。この敗戦で世界ランクから脱落し、1度目の引退。なお、この試合に勝利した名城はその後、2006年7月22日に8戦目でWBA世界スーパーフライ級王座を獲得する。

2006年10月29日、2年ぶりの試合でウォー・バルティキルを相手にほぼフルマークの判定で勝利し、再起に成功。同年12月30日、元OPBF王者で現役タイ王者のクマントーン・チュワタナと対戦し、危なげなく10R判定勝利。再起2勝目を飾り、日本・東洋ランキングに復帰。

2007年3月20日、元日本スーパーフライ級王者で世界挑戦経験者の名護明彦と対戦。専門誌等では本田の勝利を予想する声が多かったが、0-2の判定で敗れる。12月24日に一戦し判定勝ちを収めた。

2009年8月29日、王者のホームタウン三次市中広大悟の持つ日本スーパーフライ級王座に挑戦し、93-97、95-96、95-95の0-2で判定負けを喫した。同年12月28日の再起戦では日本スーパーフライ級9位として日本バンタム級3位の冨山浩之介とバンタム級6回戦を行い、2Rにダウンを奪って3-0(59-55、59-55、58-56)の判定勝利を収めた。

2010年11月2日、神戸文化ホールで、マルコム・ツニャカオが持つ東洋太平洋バンタム級王座に挑戦するも、5R1分28秒TKO負けを喫して、東洋太平洋王座獲得はならなかった。

2010年11月10日付のブログにて引退を発表した。

同年12月23日大阪府立体育会館にて、WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチの前座にて、ラストファイトの相手となったマルコム・ツニャカオ(真正)とともに、引退スパーを行った[1]

戦績

  • プロボクシング 41戦33勝(15KO)8敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1994年9月19日 3R KO 襄知行(JA加古川) 日本
2 1994年11月15日 4R 判定(採点不明) 黒田克巳(三迫) 日本
3 1995年1月10日 2R KO 杉原潤(岐阜ヨコゼキ) 日本
4 1995年5月9日 6R 判定3-0 佐々木則和(千里馬神戸) 日本
5 1995年9月4日 4R KO アーニー・ブエナフェ フィリピン
6 1995年10月17日 2R KO 立神トーレス(金沢) 日本
7 1996年2月7日 8R 判定0-2 大野恵介(江坂) 日本
8 1996年7月17日 8R 判定3-0 ロイ・クラベ フィリピン
9 1996年9月16日 6R TKO 福本義弘(本田フィットネス) 日本
10 1996年12月3日 10R 判定3-0 村松竜二(石川) 日本 日本ライトフライ級王座獲得
11 1997年2月25日 3R KO ジョナサン・ジェームズ フィリピン
12 1997年4月13日 10R 判定3-0 佐井敦史(八戸帝拳) 日本 日本ライトフライ級王座防衛①
13 1997年6月29日 6R KO 華山竜一(小倉高橋) 日本
14 1997年9月17日 8R TKO 島袋徹(尼崎) 日本
15 1997年11月22日 10R 判定3-0 村松竜二(石川) 日本 日本ライトフライ級王座防衛②
16 1998年5月13日 10R 判定3-0 久留島亮(守口東郷) 日本 日本ライトフライ級王座防衛③
17 1998年9月27日 8R 判定3-0 的場勇也(鹿児島シティ) 日本
18 1998年12月23日 3R KO ベルナルド・ジュン・ダバロス フィリピン
19 1999年2月8日 10R 判定3-0 村松竜二(石川) 日本 日本ライトフライ級王座防衛④
20 1999年5月20日 3R KO 大谷和正(武蔵) 日本 日本ライトフライ級王座防衛⑤
21 1999年9月25日 10R 判定3-0 佐野恒史(平石) 日本 日本ライトフライ級王座防衛⑥
22 2000年4月15日 8R 負傷判定2-1 田中光輝(八王子中屋) 日本
23 2000年10月27日 5R TKO ナ・ドウン 韓国
24 2001年4月24日 2R KO チャイナロン・エミネント タイ
25 2001年11月21日 10R 判定3-0 ウェンベット・チュワタナ タイ
26 2002年4月22日 3R KO ナムジャイ・サンチップ タイ
27 2002年11月26日 12R 判定0-3 ポンサクレック・クラティンデーンジム タイ WBC世界フライ級王座挑戦
28 2003年7月14日 9R TKO 中村好伸(天熊丸木) 日本
29 2003年10月4日 12R 判定0-3 アレクサンデル・ムニョス ベネズエラ WBC世界スーパーフライ級王座挑戦
30 2004年8月7日 10R 判定0-3 名城信男(六島) 日本
31 2006年10月29日 10R 判定3-0 ウォー・バルティキル フィリピン
32 2006年12月30日 10R 判定3-0 クマントーン・チューワッタナ タイ
33 2007年3月20日 10R 判定0-2 名護明彦(全日本パブリック) 日本
34 2007年12月24日 10R 判定3-0 西正隼(正拳) 日本
35 2008年4月21日 7R KO サーシャ・バクティン(協栄) ロシア
36 2009年2月8日 8R 判定2-1 太田垣雅之(オール) 日本
37 2009年6月14日 9R 負傷判定3-0 ノラシン・ギャットプラサーンチャイ タイ
38 2009年8月29日 10R 判定0-2 中広大悟(広島三栄) 日本 日本スーパーフライ級王座挑戦
39 2009年12月28日 6R 判定3-0 冨山浩之介(ワタナベ) 日本
40 2010年5月9日 9R TKO ゴンタワット・シットサイトーン タイ
41 2010年11月2日 5R TKO マルコム・ツニャカオ(真正) 日本 OPBF東洋太平洋バンタム級王座挑戦
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獲得タイトル

脚注

  1. ^ 本田秀伸vsツニャカオ・引退スパー!”. ボクシングマスター金元孝男ブログ (2010年12月24日). 2016年7月30日閲覧。

関連項目

外部リンク

前王者
戸高秀樹
第25代日本ライトフライ級王者

1996年12月3日 - 2000年1月20日(返上)

空位
次タイトル獲得者
興梠貴之




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