プロのミュージシャンとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:30 UTC 版)
「ウィル・リー」の記事における「プロのミュージシャンとして」の解説
ウィルはそれからニューヨークへ行き、ある日、トランペット奏者のランディ・ブレッカーに呼ばれ、ドリームスのオーディションに参加した。ニューヨークで、ウィルのキャリアはどんどん伸びた。彼は、B・J・トーマス、ホレス・シルヴァー、ベット・ミドラー、バリー・マニロウ、兄ランディと弟マイケルによるブレッカー・ブラザーズ、ハービー・マンといった面々とツアーに出た。商業的なフィールドでの経験を増すにつれ、ウィルは引く手あまたとなった。ベーシストとして、歌手として、彼は広範囲に渡るトップ・パフォーマーとレコーディングをした。デイヴィッド・サンボーン、ボズ・スキャッグス、ダイアン・シューア、トム・スコット、ニール・セダカ、カーリー・サイモン、フランク・シナトラ、フィービ・スノウ、ロニー・スペクター、ザ・スピナーズ、スパイロ・ジャイラ、リンゴ・スター、スティーリー・ダン、キャット・スティーヴンス、バーブラ・ストライサンドなどである。 ウィルはまた、日本で大成功した 24丁目バンド(The New York "24th Street Band")でもプレイ、二度の来日公演を行っている。その後も渡辺貞夫のバックとして数度に渡って来日。1980年には「ニューヨーカーズ」として彼のボーカルをフィーチャーしたパイオニアのCMソング「愛のサスペンス」がリリースされている(1981年の24丁目バンド来日公演ではライブでこの曲を披露している)。他には、クリストファー・パーカーとの「Joe Cool」、「Toph-E & The Pussycats」でもアルバムをリリース。「Joe Cool」のライブではジェームス・ブラウンの「I feel Good」を披露している。また彼のファーストソロ・アルバム『OH!』は、「Jazz Beyond」チャートでNo.1になった。元々、ザ・ベンチャーズのファンであった彼は、1992年に、ザ・ベンチャーズの曲をカヴァーしたアルバム『Hyper Ventures』を、デヴィッド・スピノザやスティーヴ・ガッド、ジョン・トロペイと一緒にリリースしている。 2000年以降も多くのセッションワークをこなし、盟友ハイラム・ブロック・バンドの一員として、またギタリストのディーン・ブラウン、ドラマーのデニス・チェンバースとの「DBIII」や、矢野顕子トリオ(ドラムはクリストファー・パーカー)、新井田孝則、オズ・ノイ・トリオといったバンドで来日し、熱心な日本のファンの期待に応えている。2012年8月から9月にかけては矢野顕子、ボブ・ジェームスのバンドのメンバーとして続けざまに来日。そして11月には初めてとなる自身のバンド「Will Lee's Family」としてスティーヴ・ガッド、チャック・ローブらと公演を行い、大盛況のうちに成功させた。2013年も引き続き矢野顕子トリオとして5年連続のブルーノート公演を行い、直前にリリースされた20年ぶりのソロ・アルバム『ラヴ、グラティテュード・アンド・アザー・ディストラクションズ』の中から「1.2.3」をデュエットで披露。大阪でライブを終えた翌日にはそのまま東京にとんぼがえり、アヴェレイジ・ホワイト・バンドの主要メンバーだったヘイミッシュ・スチュアートのバンドで客演を果たすという多忙ぶりを見せた。2013年12月には再び同メンバーによる「Will Lee's Family」での来日公演が行われた。2014年夏にも恒例となる矢野顕子トリオでの来日が予定されている。
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