1954年 プロギタリストへ
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「エディ・コクラン」の記事における「1954年 プロギタリストへ」の解説
6月中学卒業、9月上級生として新学期を迎える。学業以外の時間は全て音楽に費やし地域のミュージシャンとの交流を持ち、学業を放棄してでもプロのミュージシャンとして生きる想いを募らせていた。ベルガーデン周辺の町、サウスゲートやダウニーにはR&Bやカントリーミュージックの基盤があり、エディは幅広いジャンルの音楽的影響を受けていた。この年(日時不明) ゴールド・スター・スタジオでアセテート盤を制作。ドン・ディール(Vol)、エディ・コクラン(Gt)、チャック・フェリング(Bass)。8曲を録音(当時未発表)。 10月、エディはベルガーデンの社交ホール、アメリカン・レギオン・クラブに出演中のヒルビリーバンド「リチャード・レイ&シャムロック・バレー・ボーイズ」にグループへの参加を申し出る。メンバーはこれを快諾、リズムギターのボブ・ブルがふとエディに尋ねた。「ハンク・コクランとは親戚かい?」エディはその地元の歌手を知らなかったが、ボブは「ハンクが新しいグループを作ろうしているので二人は会うべきだ」と提案した。1955年1月エディは高校を中退、プロのミュージシャンとなるべく決意する。16歳と4か月の若さであった。 ハンク・コクラン (本名ガーランド・ペリー・コクラン)1935年8月2日ミシシッピ州グリーンヴィル生まれ。幼児期に両親を失いテネシー州の孤児院で育つ。10代半ば施設を抜け出しニューメキシコ州ホッブスに住む親戚の元へ。叔父からギターコードを教わりカントリーミュージックに強い関心を持つ。中学卒業後1951年までニューメキシコ州の油田で働き、その後カリフォルニア州ベルガーデンに移住する。当時パサディナのラジオ局KXLAでは毎週日曜日に2時間のライブ中継を行うカントリーショー「リバーサイド・ランチョ(Riverside Rancho)」を放送していた。人気DJスクエアキン・ディーコン(Squeakin 'Deacon)がホストを務めるこのショーでは最初の1時間がアマチュアに割り当てられており、1953年ハンクは同番組に非公式の出演を開始する。エディと出会った時にはすでにプロのミュージシャンとしてクラブ出演をしていた。
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