1954年 - ブルームーン・ボーイズとは? わかりやすく解説

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1954年 - ブルームーン・ボーイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 04:18 UTC 版)

ビル・ブラック」の記事における「1954年 - ブルームーン・ボーイズ」の解説

1953年夏、メンフィス ユニオン通り706メンフィス・レコーディング・サービス 「あら、物乞いかしら?」サン・レコード女性従業員マリオン・ケイスカー はふらりとスタジオ入って来た意年を訝しげ見た。「彼は長髪カーキ色作業服着ていたました。その頃ユニオン通り放浪者多かったのです。」青年は3.98ドル支払い母親へのプレゼントと言ってレコード一枚制作した。ふ、とその歌声感じ入るところあり彼女はテープレコーダー録音スイッチ入れ、名前のわきにこう書き添えた。「エルヴィス・プレスリー グッド・バラード・シンガー」。 1954年6月27日 サム・フィリップスはこの未知素材を試すべくオーディションを行う。あまり事を大げさにしたくないサムフルバンド不要考えビルスコッティ二人だけスタジオ呼んだ。「初めエルヴィスの名前を聞いたときは驚きましたSF小説登場人物かと思ったくらいです。」 (スコティ) 簡単に終わるはずのオーディションは数か月に及び、いつしかレコード制作リハーサルとなっていた。3人は昼の仕事終えるとサン・スタジオ集まりセッション繰り返す。その中から偶発的に生まれたザッツ・オールライト・ママ」がA面決定プレイバック聞いたビルスコティは思わず首をすくめた。「こんなレコード発売されたら俺たちメンフィスから追い出されるぞ。」 「おなじようなやりかたB面をつくろうとして、三晩か四晩、つぶしたのです」スコティは言う。「やっと『ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー』でおなじ感じがつかめてうまくいきましたあの歌、この歌といろいろやってみたのですが、どれもテープにはとらずじまいだった思いますビルが、とびあがるようにして立ちあがったかと思うと、ベース相手にふざけはじめて、ビル・モンロー (その曲をつくったブルーグラス・ミュージシャン) を真似してファルセットで『ブルームーン・オブ・ケンタッキー』をうたいはじめたのです。エルビスギター叩きはじめ、ついにふたたび、あのリズムがとりもどせたというわけです。」サム出来上がったマスター元にデモディスクを制作デューイ・フィリップス元へ持ち込むデューイ地元メンフィスラジオ局WHBQで黒人音楽専門放送する「レッド・ホット・アンド・ブルー」の人気DJ人種隔離根深く残る南部で「白人の歌うブルース」というタブー抵触するザッツ・オールライト・ママ」をオンエアできるのはこの局し無かったからだ。デューイはこの異質レコード気に入り番組内放送リスナー反響呼んだサンはまだ1枚プレスしていないシングルに5千枚予約を受ける事になった1954年10月16日ルイジアナ・ヘイライド出演。同ステージラジオ局KWKHの主催により1948年から開始されたカントリーショウ。「グランド・オル・オープリー」 (テネシー州ナッシュビル)、「ザ・ビッグDジャンボリー」 (テキサス州ダラス) などと並び最高の格付けがされルイジアナ州シュープポート記念講堂からショウ模様CBS系列190ラジオ局放送行った三人新人アーティスト紹介するコーナー<「Lucky Strike Guest Time」に出演デビューシングル2曲を演奏一年間出演契約を結ぶ。。 デビューシングル成功はいくつかの軋轢生んだオーディションのつもりでバックアップしたビルスコティ二人だが、イーグル・ネストなどのクラブへ「ブルームーン・ボーイズ」の名でエルヴィスと共に出演する至り取り残された形のスターライト・ラングラーズの他メンバーから不満が噴出バンド解散余儀なくされた。そしてマネージャー、ボブ・ニールによるギャランティー分配 (エルヴィス50%ビルスコティ共に25%)をさらにエルヴィス偏重にした事による二人の不満と。 1955年11月エルヴィス・プレスリーRCAヴィクター契約当時としては破格3年間4ドル契約だったが、それはあくまでエルヴィス一人であってビルスコティロイヤリティ契約から除外されレーベル記載からも二人の名は消えた専属ミュージシャンとして録音公演サポート従来通り行ったが、1958年200ドルギャランティー不服としマネージャートム・パーカー賃上げ要求を行うも逆に解雇通告を受ける。

※この「1954年 - ブルームーン・ボーイズ」の解説は、「ビル・ブラック」の解説の一部です。
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