1954年 - ブルームーン・ボーイズ
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「ビル・ブラック」の記事における「1954年 - ブルームーン・ボーイズ」の解説
1953年夏、メンフィス ユニオン通り706番 メンフィス・レコーディング・サービス 「あら、物乞いかしら?」サン・レコードの女性従業員マリオン・ケイスカー はふらりとスタジオに入って来た意年を訝しげに見た。「彼は長髪でカーキ色の作業服を着ていたました。その頃のユニオン通りは放浪者が多かったのです。」青年は3.98ドルを支払い母親へのプレゼントだと言ってレコードを一枚制作した。ふ、とその歌声に感じ入るところあり彼女はテープレコーダーの録音スイッチを入れ、名前のわきにこう書き添えた。「エルヴィス・プレスリー グッド・バラード・シンガー」。 1954年6月27日 サム・フィリップスはこの未知の素材を試すべくオーディションを行う。あまり事を大げさにしたくないサムはフルバンドは不要と考え、ビルとスコッティの二人だけをスタジオに呼んだ。「初めてエルヴィスの名前を聞いたときは驚きました。SF小説の登場人物かと思ったくらいです。」 (スコティ) 簡単に終わるはずのオーディションは数か月に及び、いつしかレコード制作のリハーサルとなっていた。3人は昼の仕事を終えるとサン・スタジオに集まりセッションを繰り返す。その中から偶発的に生まれた「ザッツ・オールライト・ママ」がA面に決定。プレイバックを聞いたビルとスコティは思わず首をすくめた。「こんなレコードが発売されたら俺たちメンフィスから追い出されるぞ。」 「おなじようなやりかたでB面をつくろうとして、三晩か四晩、つぶしたのです」スコティは言う。「やっと『ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー』でおなじ感じがつかめてうまくいきました。あの歌、この歌といろいろやってみたのですが、どれもテープにはとらずじまいだったと思います。ビルが、とびあがるようにして立ちあがったかと思うと、ベースを相手にふざけはじめて、ビル・モンロー (その曲をつくったブルーグラス・ミュージシャン) を真似してファルセットで『ブルームーン・オブ・ケンタッキー』をうたいはじめたのです。エルビスがギターを叩きはじめ、ついにふたたび、あのリズムがとりもどせたというわけです。」サムは出来上がったマスターを元にデモディスクを制作、デューイ・フィリップスの元へ持ち込む。デューイは地元メンフィスのラジオ局WHBQで黒人音楽を専門に放送する「レッド・ホット・アンド・ブルー」の人気DJ。人種隔離が根深く残る南部で「白人の歌うブルース」というタブーに抵触する「ザッツ・オールライト・ママ」をオンエアできるのはこの局しか無かったからだ。デューイはこの異質のレコードを気に入り番組内で放送、リスナーの反響を呼んだ。サンはまだ1枚もプレスしていないシングルに5千枚の予約を受ける事になった。 1954年10月16日「ルイジアナ・ヘイライド」出演。同ステージはラジオ局KWKHの主催により1948年から開始されたカントリーショウ。「グランド・オル・オープリー」 (テネシー州ナッシュビル)、「ザ・ビッグD・ジャンボリー」 (テキサス州ダラス) などと並び最高の格付けがされルイジアナ州シュープポート記念講堂からショウの模様をCBS系列190のラジオ局が放送を行った。三人は新人アーティストを紹介するコーナー<「Lucky Strike Guest Time」に出演、デビューシングル2曲を演奏。一年間の出演契約を結ぶ。。 デビューシングルの成功はいくつかの軋轢を生んだ。オーディションのつもりでバックアップしたビルとスコティの二人だが、イーグル・ネストなどのクラブへ「ブルームーン・ボーイズ」の名でエルヴィスと共に出演するに至り、取り残された形のスターライト・ラングラーズの他メンバーから不満が噴出、バンドの解散を余儀なくされた。そしてマネージャー、ボブ・ニールによるギャランティーの分配 (エルヴィス50%、ビルとスコティ共に25%)をさらにエルヴィス偏重にした事による二人の不満と。 1955年11月エルヴィス・プレスリー、RCAヴィクターと契約。当時としては破格の3年間4万ドルの契約だったが、それはあくまでエルヴィス一人であってビルとスコティはロイヤリティ契約から除外されレーベルの記載からも二人の名は消えた。専属ミュージシャンとして録音と公演のサポートは従来通り行ったが、1958年週200ドルのギャランティーを不服としマネージャー、トム・パーカーに賃上げ要求を行うも逆に解雇通告を受ける。
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