1954年 - 1960年
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「青函連絡船」の記事における「1954年 - 1960年」の解説
1954年(昭和29年)の洞爺丸事故で喪失した3隻の代船が建造された。船尾扉を設けるなど事故を教訓に設計が改められている。以降の新造船は全てディーゼル船。 航路転属 客船 徳寿丸(客船)元・関釜連絡船。1954年(昭和29年)10月1日、洞爺丸の代船として転属し、旅客便に限定就航。1957年(昭和)8月31日、終航。青函航路撤退後下関に係留。1961年(昭和34年)6月16日、老朽船として三井商事に売却・解体。 新製配属 貨車航送船 檜山丸型 檜山丸(初代)1955年(昭和30年)9月就航、1976年7月終航。1977年7月、日商岩井に売却。 1954年(昭和29年)の洞爺丸台風で喪失した船の代船として建造された第1船。青函航路初のディーゼル機関。以後建造船はすべてディーゼル機関。 空知丸(初代)1955年(昭和30年)9月18日、就航。1976年(昭和51年)2月27日、終航。 洞爺丸台風で失った船の代船。 車載客船 十和田丸(初代)→石狩丸(2代)(新三菱重工業神戸)1957年(昭和32年)10月1日、十和田丸(初代)として就航。洞爺丸の代船として活躍し、1966年(昭和41年)10月1日、十和田丸(初代)として終航後、石狩丸(2代)と改称。その後、車両渡船へ改造され1967年(昭和42年)5月6日、再就航。1977年(昭和52年)3月18日、石狩丸(2代)として終航。同年7月21日、共和商会に売却。
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