1954年-1957年
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「ハドソン・モーター・カー・カンパニー」の記事における「1954年-1957年」の解説
1954年5月1日にハドソンはナッシュ=ケルビネーター・コーポレーションと合併し、アメリカン・モーターズ・コーポレーション(AMC)となった。デトロイトのハドソン工場は軍との契約生産用に変更され、その後の3年間のハドソン車生産はウィスコンシン州ケノーシャの旧・ナッシュ工場で生産された。不振のジェットは速やかに生産終了となり、代わりの小型車としては、商品力に勝るナッシュ系のランブラーが販売された。 ハドソンとナッシュの上級モデルは1955年からピニン・ファリーナ、エドマンド・E・アンダーソン(Edmund E. Anderson)、フランク・スプリング(Frank Spring)のスタイリングテーマを用いた共通プラットフォームで製作された(共通プラットフォームを使った生産方法はビッグスリーが数十年来用いてきたものだった)。1955年式ハドソン車は車内はナッシュ仕様となったが、車両自体はスプリング社とハドソン技術陣で開発したフロントカウルを1954年式ステップダウンプラットフォームに載せたものだった。この1955年式にはハドソンダッシュボード、トリプルセーフブレーキ、ナッシュウェザーアイヒーター、ハリソン製低コストフレオン/コンプレッサー型エアコンが使われており、旧ハドソン・ナッシュ両社の折衷仕様であった。 ナッシュ車よりもトレッドが広いハドソン車はハンドルの操作性がよく、有名な308(5.1リットル)ホーネット・シックス(ホーネット直列6気筒エンジン)にオプションの高圧縮シリンダーヘッドとデュアルキャブレターマニフォールド(ツインHパワー)を付加して動力としていた。ワスプでは202 cu in (3.31 L)のL型ヘッドのジェット6気筒エンジン(最高130馬力)を使い、特にセダンモデルはハドソン一の売上だった。1955年式ではハドソン初のV8エンジンとなり320 cu in (5.2 L)のエンジンで208 hp (155 kW)を出した。これはパッカードが生産しハドソンおよびナッシュに搭載された。パッカードV8はパッカードのウルトラマチックオートマチックトランスミッションでも使われた。 ハドソン取扱店では、ナッシュ系のランブラーとメトロポリタンもハドソンの名で販売した。両車ともにボンネットグリルやホーンにつけられたエンブレムはハドソンとなった。ハドソンランブラーも燃料キャップが「H印」になった(1956年にはハブキャップも)。1957年式ではランブラーとメトロポリタンはそれぞれ独立した扱いとなり、もはやハドソンやナッシュとは名乗らなかった。 1956年式ハドソン車はデザイナーリチャード・アルビブに任せられた。結果は「Vライン」スタイルモチーフとなった。V型モチーフを組み合わせてハドソンの三角形の企業ロゴテーマをあらわしたものだった。1955年よりも販売は振るわなかった。1957年式ハドソン車はショートホイルベースのワスプシリーズを終了させ、ホーネットカスタムとスーパーのみとし、低い車高で多少スタイル変更をおこなった。
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