1954年から1962年
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「テイラー (DD-468)」の記事における「1954年から1962年」の解説
1954年3月1日から1959年3月1日までの5年間、テイラーは西太平洋へ5度の展開を行った。そのいずれもが、演習と極東の港への親善訪問が目的であった。 アジアでの活動がない時には、真珠湾沖での通常の任務に従事した。 1959年から1960年にかけて朝鮮戦争後6度目の展開を実施した際には、テイラーは1942年5月の珊瑚海海戦の勝利を祝う記念行事に参加するためオーストラリアを訪問した。1960年5月26日に真珠湾へ帰還後は、1961年8月に新たな極東展開に備えて真珠湾海軍工廠で大規模オーバーホールを行うまでの間、真珠湾での通常の任務を続けた。 例年の西太平洋展開において、テイラーは1962年春から夏にかけて中部太平洋で過ごし、高層大気核実験であるドミニク作戦の支援部隊として活動している。10月、ハワイへ戻ったテイラーは1962年の終わりまで修理に費やした。同年にテイラーは護衛駆逐艦から駆逐艦へ類別が変更され、1962年8月7日にテイラーの艦番号はDD-468へ戻された。
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