1954年の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「1954年の崩壊」の解説
1954年(昭和29年)4月から5月にかけて発生した崩壊は、1938年の崩壊よりも規模が大きかった。最も大規模な崩壊は4月3日に発生してその後断続的に5月5日まで続き、最終的に馬蹄型カルデラ壁の南西部が幅約600メートルに渡って崩れた。小磐梯の山頂西側にあった湯桁山はこの崩壊時に消滅したものと考えられている。崩壊の規模は崩壊物の堆積した面積約1.4平方キロメートル、体積は約1500万立方メートルと推定されている。 崩壊の原因としてはカルデラ壁の風化が進んで不安定な状態になっていた上に、1954年春は気温が高く、急速に進んだ雪解けに加え、3月28日の降水によって地盤が緩んだことが挙げられている。 1954年の崩壊では崩壊物が馬蹄型カルデラ内を埋め、更に北へ約3キロメートル、北東に約2キロメートル流下した。崩壊による人的被害は無かったものの、カルデラ内にあった噴火の湯と呼ばれた温泉宿3軒が破壊され、その後営業再開されることはなかった。
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