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柳光和博

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/03 08:19 UTC 版)

柳光 和博
基本情報
本名 柳光 和博
階級 スーパーフライ級
身長 171cm
国籍 日本
誕生日 (1972-08-08) 1972年8月8日(53歳)
出身地 京都府京都市山科区
プロボクシング戦績
総試合数 18
勝ち 13
KO勝ち 4
敗け 2
引き分け 3
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柳光 和博(りゅうこう かずひろ、1972年8月8日 - )は、日本の元プロボクサー歌手京都府京都市山科区出身。元日本スーパーフライ級、OPBF東洋太平洋同級王者。世界ランク最高位はWBC3位、WBA4位。現役時代はワタナベボクシングジム所属。現在はRK蒲田ボクシングファミリー代表。

来歴

南京都高等学校でボクシングを始め、3年次に国体優勝を果たす。

その後は近畿大学を経て、歌手を目指し上京[1]。しかし、ワタナベジムでプロボクサーとなり、1995年7月10日プロデビュー。

翌年にはA級トーナメント参戦。セレス小林を降して優勝。

1997年6月25日、スズキ・カバトが持つ日本スーパーフライ級王座に挑戦するが、判定負けで王座獲得ならず。

1998年10月27日、マンゴロー・イシマルが持つ東洋太平洋同級王座に挑戦。しかし引き分けでまたも王座獲得ならず。

1999年6月15日、松倉義明と空位の日本王座を争い、4回TKOで退け13戦目で初タイトル獲得。

10月12日、金石陽介を相手に初防衛に挑むが、2回負傷引き分け。

2000年4月2日のダイレクトリマッチで6回TKO勝利。試合後王座返上。

10月11日、キッド・ハムザーと空位の東洋太平洋王座を争い、2回TKOで王座獲得。

ノンタイトル1勝後、王座返上。

2002年3月23日、徳山昌守が持つWBC王座に挑戦。しかし9回KOで敗れ世界王座はならなかった。これを最後に引退。

2004年、「森本タローとスーパースター」のボーカルに迎え入れられ、夢だった歌手デビューを果たす。

2005年9月、森本タローとスーパースターを卒業。

2007年、平塚市でワタナベジムの1年後輩鳥海純とともに「湘南RYUJU BOXING FAMILY」を開設。会長に就任。

2010年、蒲田に移り、「RK蒲田ボクシングファミリー」を開設。

松山大学ボクシング部の顧問も務める[1]

戦績

  • アマチュア:110戦 85勝 40KO 25敗
  • プロ:18戦 13勝 4KO 2敗 3分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1995年7月10日 6R 判定3-0 松原由勝(カワイ) 日本
2 1995年11月28日 8R 判定3-0 青島大介(相模原ヨネクラ) 日本
3 1996年8月20日 6R 判定3-0 中山達也(三迫) 日本
4 1996年11月22日 8R 判定2-0 セレス小林(国際) 日本 A級トーナメント優勝
5 1997年4月22日 10R 判定3-0 ナタアン・バルセロナ フィリピン
6 1997年6月25日 10R 判定0-3 スズキ・カバト(新日本大阪) 日本 日本フライ級王座挑戦
7 1997年10月17日 10R 判定3-0 秋田勝弘(協栄) 日本
8 1997年12月2日 10R 判定3-0 アルポン・ナバハ フィリピン
9 1998年3月11日 8R 判定1-1 寺尾新(八王子中屋) 日本
10 1998年7月1日 10R 判定2-1 篠崎宏樹(ヨネクラ) 日本
11 1998年10月27日 12R 判定1-1 マンゴロー・イシマル(北陸石丸) フィリピン OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座挑戦
12 1999年2月23日 8R KO アル・タラソナ フィリピン
13 1999年6月14日 4R TKO 松倉義明(宮田) 日本 日本スーパーフライ級王座獲得
14 1999年10月12日 2R 負傷引分 金石陽助(大鵬) 日本 日本スーパーフライ級王座防衛①
15 2000年4月2日 6R TKO 金石陽助(大鵬) 日本 日本スーパーフライ級王座防衛②
16 2000年10月11日 2R KO キッド・ハムザー インドネシア OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座獲得
17 2001年2月27日 10R 判定2-0 ルーンチャイ・ムアンスリン タイ
18 2002年3月23日 9R KO 徳山昌守(金沢) 日本 WBC世界スーパーフライ級王座挑戦
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人物

  • 歌手の河村隆一と親交が深いことで知られる。入場曲には「Love is...」を使用した他、世界戦の国家独唱も河村が引き受けた。

脚注

  1. ^ a b 松山大学ボクシング部. “柳光和博顧問”. 2012年2月29日閲覧。

関連項目

外部リンク




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