柳公権
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柳 公権(りゅう こうけん、大暦13年(778年) - 咸通6年(865年))は、中国唐代の政治家・書家。字は誠懸(せいけん)。京兆府華原県(現在の陝西省銅川市耀州区)の出身。本貫は河東郡解県。家系は河東の名族の柳氏の一派に属し、父の柳子温は丹州刺史、兄の柳公綽は河東節度使を経て兵部尚書に至り、端厳な楷書を書く能書家でもあった。柳道茂(柳敏の従祖弟)の末裔にあたる。
- ^ 藤原 P.94
- ^ 『旧唐書(列伝第一百十五)』(我於佛寺見卿筆跡、思之久矣)
- ^ 右拾遺(うしゅうい)は、天子の過失を諌める役の官名である(新選漢和辞典 P.199)。
- ^ 『旧唐書(列伝第一百十五)』(用筆在心、心正則筆正)
- ^ 筆諌(ひっかん)とは、筆法によせての諌言のこと(西川 P.131)。
- ^ この爵位により柳河東ともいわれる(玉村 P.59)。
- ^ 大達(だいたつ、770年 - 836年)は、長安の安国寺の僧で、俗姓は趙、俗名は端甫(たんぽ)という(比田井 P.223、木村 P.166)。
- ^ ただし、碑は磨滅のために各行下方の2字は読めない(木村 P.166)。
- ^ 『旧唐書(列伝第一百十五)』(上都西明寺金剛経碑、備有鍾・王・欧・虞・褚・陸之体、尤為得意)
- ^ 『海嶽名言』(柳公権師欧、不及遠甚、而為醜怪悪札之祖。自柳世始有俗書)
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