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チャック・タナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/05 05:16 UTC 版)

チャック・タナー
Chuck Tanner
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ローレンス郡ニューキャッスル
生年月日 (1928-07-04) 1928年7月4日
没年月日 (2011-02-11) 2011年2月11日(82歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1946年
初出場 1955年4月12日
最終出場 1962年5月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

チャールズ・ウィリアム・タナーCharles William Tanner, 1928年7月4日 - 2011年2月11日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ローレンス郡ニューキャッスル出身の元プロ野球選手外野手)、監督。左投左打。

息子のブルース・タナー英語版も元メジャーリーガー(投手)であり、1年だけシカゴ・ホワイトソックスでプレーしている。

経歴

1946年ボストン・ブレーブスと契約してプロ入り。チームがミルウォーキーへ移転後の1955年4月12日にメジャーデビューし、初打席で初球を叩いて代打本塁打を放っている[1]1957年は準レギュラーで117試合に出場し、打率.279、9本塁打、48打点を記録した。ロサンゼルス・エンゼルスでプレーの1962年を最後に引退した。

引退後はマイナーでの監督を経て1970年終盤にシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任した。前向きな性格でディック・アレンのような問題児も巧みに操縦し、1972年には2位となってスポーティングニュース誌選出の最優秀監督に選ばれる。

1976年にはオークランド・アスレチックスの監督となるが、同年末にマニー・サンギーエンと移籍金10万ドルとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移った。パイレーツでは1979年ワールドシリーズ優勝へ導いた[2]

2011年2月11日に死去したことが報じられた[3]

監督としての特徴

機動力を駆使した采配を特徴とし、1976年は341回、1977年は260回の盗塁を成功させたが、放任主義と批判も浴びた[2]

詳細情報

背番号

  • 18(1955年 - 1957年途中)
  • 39(1957年途中 - 同年終了)
  • 6(1958年、1960年 - 同年途中)
  • 26(1959年)
  • 5(1960年途中 - 同年終了)
  • 11(1961年 - 1962年)
  • 7(1971年 - 1988年)

脚注

  1. ^ Cincinnati Redlegs at Milwaukee Braves Box Score, April 12, 1955” (英語). Baseball-Reference.com. 2020年5月27日閲覧。
  2. ^ a b 出野哲也『改訂新版 メジャー・リーグ人名事典』言視舎、2013年、310頁頁。ISBN 978-4-905369-67-7 
  3. ^ MLB=WS制覇の元パイレーツ監督、タナー氏が死去”. ロイター (2011年2月11日). 2015年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月27日閲覧。

関連項目

外部リンク




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