監督との確執とは? わかりやすく解説

監督との確執

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:02 UTC 版)

野茂英雄」の記事における「監督との確執」の解説

もう1つ理由は、仰木後任である鈴木啓示との確執だった。野茂近鉄への入団条件に「投球フォーム改造をしないこと」を挙げていた。当時監督仰木彬はこれを快諾し調整方法も本人に任せたため、野茂仰木信頼して尊敬するようになった。これに関してメジャー在籍時の晩年に「自分信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチーム貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督辞められたことでその気持ち薄れてしまった」と語っている。更に1993年監督就任した鈴木は、自身が主に先発317勝という実績挙げた投手出身ということもあってか、フォーム調整法など様々なに関して干渉した。また選手指導としても厳し姿勢見せつけていた。例として野茂開幕戦調子整えばそれで良いという考え方開幕前はスロー調整であったが、鈴木オープン戦から結果要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導遠投など自己流スタミナ作っていたが、鈴木ひたすら走りこむことを要求し「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと鈴木は「何周とかと違う。野球選手ひたすら走るもんなんや」と持論押し通した近鉄投手陣立花信頼寄せていたが、立花鈴木冷遇によって1993年近鉄退団したため、投手陣反発を買うこととなった監督就任直後鈴木道上洋三ラジオ番組への出演時に野茂について「三振は取るが四球が多すぎる。(投球フォーム改造しなければ」「いまのフォームはいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ」と野茂制球力悪さに不満を持ち、完全に野茂フォーム否定していた。 こうした指導法が元で鈴木対立するようになり、近鉄退団決意する2つ目の理由になった当時野茂チームメイトだった金村義明著書勝て監督 負けボス」で、野茂の「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督鈴木)の下ではやれないと思ったそれだけなんです」という発言紹介している。 これらの要因重なった結果野茂球団フロント制止振り切り近鉄退団しメジャーリーグ挑戦することとなった自由契約ではなく任意引退扱いなので日本プロ野球界に帰った場合近鉄保有があることになった当時野球協約68条第2項には「全保留選手は、他の球団選手契約に関する交渉行い、または他の球団為に試合或るいは合同練習等、全ての野球活動をする事は禁止されるとなっていたが、任意引退前にコミッショナー事務局から任意引退による球団保有外国球団にまで及ばないことの言質得ていたため、メジャー球団契約することが可能になった(その後任意引退による日本人選手流出危機感感じたNPB側が1999年協約改正し外国いかなるプロフェッショナル野球組織球団をも含め」という条文追加したため、現在では日本のみならずメジャー球団含め任意引退した選手世界各国プロ野球球団契約することが出来なくなった)。なお、近鉄2004年オリックス合併したため、保有オリックス移行した解釈されている。

※この「監督との確執」の解説は、「野茂英雄」の解説の一部です。
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